知性について 他四篇 (岩波文庫)
ショーペンハウエル Arthur Schopenhauer 細谷 貞雄
岩波書店 (1961/01)
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読書とは他人にものを考えてもらうことである。
一日を多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でものを
考える力を失ってゆく。



知は力なり……とんでもない!
きわめて多くの知識を身につけていても、少しも力を持っていない人も
あるし、逆になけなしの知識しかなくても最高の威力を振るう人もある。



 〜ショーペンハウエル〜




私は、今までの人生で数回「勉強不足!」と怒鳴られたり、
罵られたりしたことがあります。言われた時は非常に腹が立ちますが、
基本的に事実なので何も言い返せません。(苦笑) あんまり「勉強不足」と
言われ続けて気持ちが萎えてしまい、長く勤めた職場を去ったこともありました。
ふう。反省。もっと勉強しなくては・・・


ただし!


勉強量が多ければ良いというものでもありません。
豊富な知識が人を誤らせることもある。


たとえば、科学的思考ができ、かつ知識も豊富な「知識人」が、
知識を超えた「直感」「人情」「宗教性」等に疎いが為に対人関係で
行き詰ることがある。(知り合いに複数いる)


英語教育でも同じことが言えて
豊富な文法や構文に関しての知識があるが故に、授業中にその
知識の披瀝に専念してしまい、英語嫌いを大量に生んでしまう
教師がたくさんいる。(身の回りにもいる)


私は知識があまりない(一冊読み通した文法書は1,2冊だけ)ので
かえってシンプルな解説ができ、かえって分かりやすく質の高い授業
を展開することができる。(えへへ、もちろん半分ふざけて書いてます。)
でも、私があまり文法書を読んだことがないのは事実ですし、そんな私が
文法の講義でそれなりに高い評価をいただいているのも面白い事実です。



閑話休題



では、読書や知識はいらないのか?


いいえ、私はそういうことを言いたいのではありません。


大切なのは、「自分の頭で考える」ことと「知識を得ること」の
バランスです。本で読んだ知識を、しっかりと自分の頭で咀嚼し、
「自分なりの考え」にする必要がある。もし、読書などで得た
知識を丸呑みにするくらいなら、読書なんてしない方がマシだ。
実際、私は「中途半端なエセ知識人」よりも、「知識」はないけど
「知恵」と「感性」が豊かな人と一緒にいる方がはるかに楽しいし、
そのような人の方が信用できる。




いかに有益な書物でも、その半分は読者自身によってつくられる
ものである


 〜ヴォルテール〜



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