悪人礼賛―中野好夫エッセイ集
中野 好夫 安野 光雅
筑摩書房 (1990/12)
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学生時代の大親友であり、命の恩人と言っても良いH氏に貰った
思い出の本です。お互いに5,000円ずつ使って、お互いに読んで
もらいたい本をプレゼントし合う、という企画で入手しました。



p.10
由来ぼくの最も嫌いなものは、善意と純情との二つにつきる。


今とは違って「まじめ」だった学生時代の私には、かなり刺激的な
言葉でした。善意の何が悪いのだ!? というのが第一印象だった
記憶がある。



p.10
悪人というものは、ぼくにとっては、案外始末のよい、付き合い
易い人間なのだ。という意味は、悪人というのは概して聡明な
人間に決まっているし、それに悪というもの自体に、(略)
基本的グラマーというべきものがあるからである。



これを書いていて、ゴルゴ13のことを思い出しました。(笑)
ゴルゴ13には、はっきりと筋の通ったルールがあります。
世間の善悪の概念を超えた、自分自身のグラマーがある。



p.11
善意から起こる近所迷惑の最も悪い点は一にその無法さにある。
無文法にある。(略)悪人における始末のよさは、彼らのゲームに
ルールがあること。



確かに「善意」を押し付ける「自称良い人」は怖いですね。
「あなたの為を思って言ってるのよ」とか、「友達として忠告
してあげてるのに」等のせりふを耳にしたら、この「善意の
押し付け」を疑ってみてください。



中野氏は、友情論も展開します。


p.12
友情とは、相互間の正しい軽蔑の上においてこそ、はじめて
永続性をもつのではないのだろうか。


p.13
友情とは、相手の人間に対する九分の侮蔑と、その侮蔑をもって
してすら、なおかつ摩消し切れぬ一分に対するどうにもならぬ
畏敬と、この両者の配合の上に成立する時においてこそ、最も
永続性の可能があるのではあるまいか。十分に対するベタ惚れ
的友情こそ、まことにもって禍なるかな、である。


うーん、するどい。よく分かる気がする。


友情も、恋愛も錯覚から始まる、とよく言われます。確かに、
相手に対する憧憬、過剰な高評価がきっかけとなって、人間
関係は始まることがある。でも、そこで大切なのは「錯覚
かもしれないなあ」という自覚を持つことではないか。


「この人は素晴らしい」と過大評価をすることは、実は
「この素晴らしい人と出会えた自分は素晴らしい」という
自己愛から生じる行為なのではないか。人間という、本能が
壊れた「欠陥動物」として生まれた以上、「相互間の崇敬に
よって結ばれる関係」は幻想に過ぎないのではないか。


悪人万歳!


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