皆様


明けましておめでとうございます。
今年も「よろしく」お願いいたします。


私は「よろしく」等の、英語に訳しようがない
曖昧な日本語が大好きです。何をどのように
「よろしく」と依頼しているのでしょうかね。
ははは。



さて、以下の「一家心中」のニュースを見て
ふと思ったことがあります。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080105-00000314-yom-soci


まず、お亡くなりになった方のご冥福をお祈りさせてください。
合掌。


一家心中というのは、欧米人には理解し難い行為のようです。
つまり、子供を巻き添えにするのは、「親のエゴではないか」
「ただの殺人ではないか」、「子供は親の所有物ではない!」
という理屈です。確かに一理ある。でも、子供を道連れにする
感覚も、日本人としてなんとなく分かる。腑に落ちてしまう。


日本の場合、自我空間と言うか、自分のアイデンティティーが
自分自身の中で完結するのではなく、家族を中心とした周りの
人間関係をもやもやっと包含する形で成立している。良く言えば
お互いに支えあって、悪く言えばお互いに依存している。


英語圏では、"I"は"I"で、"you"は"you"です。人称代名詞が
はっきりと確立している。日本語では、「自分」や「手前」等の
言葉が、1人称を指したり、2人称を指したり、変幻自在の活躍を
する。いえ、失礼、これを「活躍」とポジティブに見るか、
「曖昧」とネガティブに見るかが問題か。


もう10年以上昔のことですが、
ご近所の男性が自殺しました。


残された奥様は、その男性(旦那)を恨んでいた。
でもその内容は「なんで私も一緒に連れてってくれなかったの」
(=なんで道連れにしてくれなかったの)でした。


この女性は、とても心の温かい、社交的な人格者でした。
この彼女の言葉は本音なのだと私は直感しました。
当時独身だった私は、夫婦愛の深さと怖さを垣間見た気持ちに
なりました。


さて、いったい「一家心中」「道連れ心中」は許されるので
しょうか。子供や連れ合いは、道連れにしてよい存在なのか?
はたまた道連れに「すべき」存在なのか?


今年も、日々こんなことを考えながら生きていくことに
なりそうです。


新年早々、重たい話題で失礼しました。
本年も「よろしく」お願いいたします。


再び合掌。