「2つのテニスボールを縦に並べてください」


第一感は「絶対に無理!」 
でも、「先生に何か意図があるんだろう」と思い直し、数分間黙々と挑戦。


そのうち、誰かが水の入ったペットボトルを支えにして2つのボールが立った! 「あ、なるほど、いろいろと工夫をしなさい、という<教え>か」と納得したのに、先生はさらっと笑顔で流す。ん? 


私はこの時点で「実際には無理なことをやらせる中で、何か<気づき>を得てほしい」ということが先生の意図なのだと決め付けているわけです。というわけで、その先生の<教え>が何なのかを探りながら、さらに黙々とボールのバランス調整。どうせ無理なのになあと思いつつ・・・


しばらくして、参加者の一人から「できた!」の声。
あ、床の上にボールが2つ縦に並んでいる!
アンビリーバボー(注:テレビ番組)のネタみたいに! 
彼曰く「気合っすよ」 え? 可能なの?


というわけで、私も本気モードになり、上記の写真のようにボールが縦に並びました! 写真を撮る余裕があるくらいずっと(たしか2,3分)安定してました。


以下、先生のメッセージ。
大人は、つい「これは無理」という決め付けをしてしまう。
子供だと先入観なしにすぐできてしまうことが、大人だとつい「どうせダメ」と心の中で思い込みが生じる可能性が高くなる。


名作「星の王子様」の冒頭で、「へびが象を飲み込んだ絵」を大人が「それは帽子だろ」と決め付けるので悲しい、という有名な一節がありますが、私はまさに「それは帽子だろ」と決め付けた大人と同じでした。ギャフン。まいりました。


ゲシュタルト心理学的に言えば、「図」と「地」の組み換え(再構成)が自在にできる必要がある。


http://www.oak.dti.ne.jp/~xkana/psycho/intro/intro_52/index.html


このページの「ルビンの盆」という絵は有名ですね。左右の黒い部分を「地」、白い部分を「図」として見れば「盆」が浮き上がり、逆に黒い部分を「図」として見れば「2つの顔」が浮き上がる。そして、このゲシュタルトの転換が自在にできること、ゲシュタルトを作って壊して、が自在にできるようになることが、人間にとって「成長」である、と。


NLPは、パールズのゲシュタルト心理学の影響を受けており、理性よりも身体の感覚を重視する等の点で、両者はとても似ています。


もし「英語学習」や「留学」に意味があるとすれば、それは「ゲシュタルトの再構成」が起きる可能性を高める点にある、と私は考えます。ただし、留学によってゲシュタルトが反転したまま固着してしまう危険、つまりアメリカならアメリカの文化一緒に染まってしまう危険を英語業界、留学業界の人間は注意する必要があると思います。留学の目的は、ゲシュタルトを自在に操ること、「地」と「図」の反転を自由にできるようになることであり、「アメリカ」という一つのゲシュタルトに固着してしまうのでは意味がない。いや、意味がないどころか危険だ。


英語業界に身を置く人間として、自戒の念をこめつつ。