さて、この無謀な三題噺はまとまるのやら・・・ 


寝ながら学べる構造主義 (文春新書)
内田 樹
文藝春秋
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p.7

私は「専門家のための」解説書や研究書はめったに買いません。つまらないからです。しかし、「入門者のための」解説書や研究書はよく読みます。おもしろい本に出会う可能性が高いからです。


お見事! さすが内田先生。
これ、「専門家」に対する痛烈な皮肉です。確かに、専門書には面白くない本が多く、そして内田先生の本は分かりやすい上に刺激的です。


テレビでの専門家の発言や、政治家や官僚の言葉、または大学の授業が分かりにくく、苛立つことがありますよね? その「苛立ち」はなぜ生じるのか?


p.8

・・・官僚の答弁はたしかに専門的語彙と専門的知見に満ちあふれていますが、「そもそも政府とは誰のためにあるものなのか」とか「市場とは何のことなのか」とか「国際世論とは誰の意見のことなのか」といった、そこで現に語られている論題の根本になっているはずのことは決して問われることがありません。そういうおおもとのところに立ち帰って、現下の問題を根本的に検証しないとまずいんじゃないかと思うからこそ、私達は官僚のつじつまは合っているけれど、誰に向かって語っているのか分からないような答弁を聞くといらいらしてくるのです。


私は、以前、とある大蔵省の官僚に「そもそもお金って何なのか、という根本的なところをもっと議論する必要があるんじゃないですか?」と大胆にも(軽率にも?)尋ねたことがあります。幸い「そう、目先の論点の議論だけではなくて、そのような根本的な議論もしなくちゃいけなんですよ、本当は!」と同意していただけました。


専門家は、つい根本的な議論を忘れて、素通りして、詳細の議論を積み重ねがちになる傾向があります。英語教師だったら、「そもそもなぜ英語を勉強しなくちゃいけないのか」「文法学習は本当に必要なのか」という根本的な問いに分かりやすく答える義務があるはずなのに、ついついその作業をないがしろにしてしまう。