反哲学入門
反哲学入門
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木田 元
新潮社
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私は学生時代に哲学、特に丸山圭三郎の言語哲学に傾倒しました。


確か大学4年の時だったと思います。
後輩のK君が本音を語ってくれました。
「哲学っていうのは、皆が分かるようなもっと簡単な言葉で
言えばよいことを、いろんな学者が必要以上に難しい言葉で、
しかも様々な用語を使って議論をしている。これは、単に
知的虚栄心、自分の知識をひけらかしたいという見栄で
やっていることに決まっている」と。


同じころ、恩師の高尾利数先生にお手紙を出したことろ、先生から
「今、丸山圭三郎という思想家の研究をしていて、今度本を出す」
とのお返事をいただき、あまりの偶然に仰天。早速高尾先生のゼミに
特別参加させていただき、丸山圭三郎の「文化とフェティシズム」を
題材に議論しました。が、受講生の大多数が乗り気ではなかった。
丸山言語哲学の鋭さ、面白さにピンときていなかった。「正直言って
なんでこんなこと勉強するのか分からない」と漏らす学生が出現し、
高尾先生が思わず苦笑い。(もう20年ほど前のことです。)
ゲスト参加の私だけが興奮して喋りまくり、違和感を覚えました。


もちろん、ファッションとして哲学を語る人も多く存在します。
ですが、私は、決して知的虚栄心からではなく、必要に迫られて
哲学を勉強しました。社会に適応できない自分をどうすればよい
のか不安にかられ、自分と社会との間の「隙間」「ずれ」の正体が
何であるかをどうしても解明しないことには生きにくかった。

p.18

(略)人に哲学をすすめることなど、麻薬をすすめるに等しいふるまい
だと思っています。(略)私の書く入門書は、同じような不幸を抱える
人を読者に想定して書いています。同病相憐れむですね。(略)
哲学なんかと関係のない、健康な人生がいいですね。


木田先生に言わせると、哲学なんて「麻薬みたいなもの」と
なってしまいます。そう、哲学なんて麻薬みたいなもの!
だけど、麻薬がなければ生きていけない人もいるのではないか?
もう少し普通の表現をするなら、哲学は社会に適応できない人
のための「必要悪」なのではないだろうか。だったら、哲学に
詳しいことなんて、決していばることではないはず! ただ
同時に、社会適応者は、哲学がないと生きていけない人、
社会不適応者がこの世に存在することに想像力を廻らせる必要が
あるのではないだろうか?