歌うこと それは我らの未来 歌ういま それが愛の始まり


〜東京大学柏葉会合唱団会歌〜




大学一年生の時、春の六大学混声合唱連盟定期演奏会で聴いた美しい歌でした。いろんな歌を聴いたのに、他大学の
合唱団会歌が一番想い出に残っている、というのが不思議です。メロディーも鮮明に頭に残っています。一度聴いただけなのに・・・




「音楽を楽しもうなんて、そんなのマスタベーションと同じだよ。くだらない!」


たしか市ヶ谷駅そばの「バンビ」(懐かしい・・・)にて、大学の合唱団で指揮者を務めていたOBからいただいた一言でした。


所属していた混声合唱団で指揮者になるか否か、悩んでいました。
同学年の中で音楽面においてリーダー格の人間が3年生次に指揮者になるのが慣例でした。


私にとって、音楽は「楽しむもの」でした。なのに、練習の雰囲気は「やらされている」感に満ちていた。なんとなく、ずるずると先輩の誘いにのって、惰性で入会したメンバーがほとんどで(少なくとも私にはそう思えた)、練習に真剣さも楽しさもなかった。


「先輩、練習は楽しくなきゃいけないと思うんですよ。メンバーはつまんなそうに、惰性で練習しているようにしか思えません。こんな状況で指揮者を務めても、嫌になってしまうじゃないかと心配なんです。」


「音楽を楽しもうなんて、そんなのマスタベーションと同じだよ。くだらない!」


「・・・」



これで会話は終わってしまいました。結局私は合唱団を辞め、オーストラリアへの留学という道を選択しました。不思議な発言にあっけにとられました。先輩の言っていることが理解できなかった。なんで音楽を楽しむことを「マスタベーション」だなどと、こき下ろ
されなくてはいけないのか!?


今は先輩の気持ちが分かります。彼は合唱に真剣だったのでしょう。
学指揮(学生指揮者)として多大の時間とエネルギーを使ったこと誇りを感じ、「音楽を楽しむ」という考え方が軟派なものに聞こえたのだと思います。確かに、修行のごとく真剣に音楽に取り組むのも一つのあり方なんですね。音楽を極めると、そこには別世界が見えてくるのでしょう。


音楽、スポーツ、語学、全てに共通していることだと思うのですが、「真剣に取り組むこと」と「楽しむこと」は両方大切です。ただ、人によって、どちらのベクトルを重視するか、とうスタンスが異なって
構わないのですね。そこには文化差もあると思います。日本では趣味を「道」として真剣に究めようとする文化があり、アメリカでは趣味を「楽しもう」とする伝統がある。日本人は、「楽しむこと」を学ぶ必要があり、アメリカ人は「道を究めること」を学ぶ必要があるのかもしれません。アメリカ人監督を抱える日本のプロ野球チームの試合は面白いですからね。



私は毎日カガミを見るんです。そして聞くんです。
「君は今人生を楽しんでいるかい?」


〜ボビー・バレンタイン〜



閑話休題。


音楽を楽しむことはマスタベーションなのか?


そうなりかねない、そうなる人もいる、というのが現時点での私の答えです。カラオケでナルシスト丸出しになる人を見れば分かります。要はバランスの問題なのですネ。


合掌。