トイレの神様(DVD付)


「トイレの神様」を英語に訳すとどうなるのか、とうのは英語講師としてとても興味深い問題です。(興味がない方は以下無視してください。すみません。)


http://www.japantoday.com/category/entertainment/view/toilet-god-song-makes-a-star-of-kooky-songstress


↑にて、主にアメリカ人によって"Toilet God"というタイトルに対する違和感が語られています。確かに、アメリカ人にとって"toilet"(トイレ)は下品で、会話で使うことにはためらいを感じじさせる言葉です。"May I go to the toilet?"という表現をアメリカ人からは聞いた記憶はありません。それに対して、オーストラリアでは、"toilet"という言葉を普通に会話で使うのでびっくりしたことがあります。"toilet"という言葉への感覚が、アメリカとオーストラリアでは非常に異なる。アメリカ人にとって、"Toilet God"というタイトルの歌には違和感があるでしょうね。(10か月だけですが)アメリカに住んだことがある私には、その感覚がなんとなく理解できます。


私が違和感を覚えたのは、「神様」を大文字の"God"と訳すことです。一神教の神様を信じている人にとて、神様は疑いもなく大文字の"God"でしょう。なぜなら、「一神教」である以上、神様は「一人」しかいませんから。(笑)でも「トイレの神様」の作詞者にとっての「神様」は、日本古来の多神教的な「神様」のはずです。日本古来の神道の考え方によると、私たち一人一人の中に「神様」は存在しますし、ありとあらゆる場所に神様がいる。トイレにも「トイレの神様」がいる。なので、多神教的な意味をこめて、「トイレの神様」は"a toilet god"と訳したい。実は"god"という言葉を小文字で、かつ不定冠詞の"a"をつけることにはかなりの勇気が必要です。「多神教(polytheism)よりも一神教(monotheism)の方が優れている」という理解が、西洋においては割と一般的だからです。


大学時代、恩師の高尾利数先生のゼミで、「一神教よりも多神教の方が、実はより進化した宗教の形態である」という趣旨の本(英書、著者やタイトルは忘れました)を読んだ記憶があります。常識をひっくり返した、面白い視点ではありますが、でも「一神教」と「多神教」のどちらが優れているか、という議論の枠組み自体が危険であると感じました。人間に普遍的に存在する「霊性」をどのように表現するか、という表現方法に違いがあるだけであって、根本的な霊性、スピリチュアリティーは「一神教」と「多神教」の枠を超えて普遍的なものなのではないか。高尾先生、同意していただけますよね?


私は、「トイレの神様」を"a toilet god"と英訳したい。私たち一人一人の中に神様がいる。トイレでは、「トイレの神様」に敬意を払いながら時を過ごしたい。


合掌。そして、生かして頂いてありがとう御座位ます。