1999年 9月某日 秩父にて


一人旅をしています。


「人と人は分かり合えるか?」


やっぱり無理だと思うんです。
基本的にはあきらめるべきだと思う。
このような諦念を前提にして、「だめもと」で、何とかお互いの深い部分を探り当てようとすることが大切なんだと思います。あまり簡単に他人のことを分かろうとしない方がよいと思う。他人のことをたやすく分かろうとすること自体が傲慢なのではないか。


大学の一般教養で心理学を取りました。担当の横山先生(今でもよく覚えています)が「心理学なんかで人の心は分からない。心理学になんて期待をしない方がいい。」と繰り返しおっしゃられていたことが思い出されます。当時の私は心理学に興味があり、心理学に期待もしていたので、「なんで、心理学の勉強をする気になっている学生のやる気をそぐようなことを言うのだろう・・」と不満に思っていたのですが、今は先生の気持ちがよく分かるような気がします。心理学なんぞを多少勉強しただけで、周りの人間を「お前は〜タイプだから〜したがるんだ」等と分析してまわるおぞましい行為、思い上がった行為はすべきじゃない。


以前の「心理学を勉強しているんだから、もう少し私の気持ちを分かってくれるかと思ったのに!」という発言は、以下の2つの意味(理由)で撤回してほしいです。1つ。心理学は一部の人に思われているほどには、人の心を解明なんかできていない。2つ。勉強している分野とか職業等によって他人の人格を判断すべきではない。以前、「先生(講師)をやっているからしょうがないんだろうけど、なんでそういうふうに偉そうな口をきくの?」とか言ってたけど、そういう決めつけは止めた方が良いと思うのです。仮に私が「偉そうな口をきく」のが事実だとしてても、それを「先生をしているから」等のように理由を決めつけるのはルール違反でしょう。そうではなく、単に「偉そうな口をきくな」と言えばいいんです。私が講師なのは事実だし、そして仮に「偉そうな口をきく」のも事実だとしても、それらの2つの事象に因果関係があるとは限らない。「偉そうな口をきかないでほしい」と言うだけでいい。一言多いんだ。勝手に原因と結果の分析をしないでほしい。特に人の心の問題に関しては。


「お互いに分かり合えないという前提でつきあう」なんていう考え方は、悲しすぎて無理だとあなたは言った。でも、人間はやっぱり根本的には孤独なのではないでしょうか。「人と人とは根源的には分かり合えない」という厳しい真実を認めたうえで、少しずつ歩み寄る。お互いにちょっとずつ、ゆっくりと時間をかけて、相手を「理解」するのではなく「受け止める」方法を学んでいく。そのような姿勢がないと、そもそも人と人の付き合いは成立しないのではないか?


またどこかでお会いすることがあれば、この話の続きをしませんか。10年後、いや20年後になるかもしれませんが。


最後になりますが、あなたの幸せを心よりお祈りしています。ありがとう。