寂聴日めくり暦 2012年[カレンダー]


皆様


あけましておめでとうございます。授業中の余談が多い、電子メールの連絡が遅い、ブログの更新が遅い等々、至らぬ点が多く、お叱りをうけることが多い小生ではございますが、少しでもマシな人間になるべく私なりに精進してまりますので、何卒ご寛容のほどお願い申し上げます。このような、自分を低い立ち位置に置く発言をして、カウンセリングの師匠に「自分をディスカウントしてはダメですよ」と叱られたことがありますが、私の人生観からすると、「自分の至らぬ点は素直に認めるべきだ」となります。ご容赦ください。あ、また謝ってしまった・・・ (苦笑)


開高健さんが、講演会の中で「言葉は病の産物なんじゃないかと思うことがある」と発言されていたと記憶していますが、私も同じような言語観を持ち合わせています。私は悩み多き人間なので、「言葉」を必要とするのだと自己分析しています。今年から、3人のひめくりカレンダーをトイレに設置しました。写真の左からさだまさしさん、瀬戸内寂聴さん、相田みつをさんです。昨年はさださんだけだったのですが、今年から3人に増えました。我ながら欲張りです。



真ん中にあるのが、瀬戸内寂聴さんのものです。




瀬戸内寂聴師はこうお説きになります。愛とは相手の心を想像することである。よって、愛とは想像力であると。


恋することは簡単なのですが、愛することはとても難しい。恋は、勘違いから生じた状態、勝手に「惚れた」状態のことを意味するので、究極的に言うと利己的な心理状態です。私が敬愛する島田紳助氏がテレビでよく紹介していた「勝手に好きになってもいいですか?」という口説き文句も、恋が自己中心的な心性であるという真理をついた、「人たらし」ならではの口説き文句だと思うのです。


それに対して、愛することとは死に物狂いの行為です。相手の境遇や気持ちを想像し、相手軸で物事を考え、寛容の心で相手と接しないと愛にならない。恋が利己的なもので、愛は利他的なものである、と大雑把に言ってしまっても、それほど本質からずれていないと思います。


愛には想像力が必要なので、愛する人を探す際には、想像力豊かな人、相手軸で物事を考えることができる人を探した方がよいのかもしれません。「愛しています」という言葉をささやかれても、その人が他人を愛するだけの想像力を有する人なのかを見極める必要があります。


まあ、「言うは易く、行うは難し」なのですがネ。