He who can, does. He who cannot, teaches. 〜George Bernard Shaw〜
風太郎による日本語訳:できる奴はやる。できない奴が教える。
これは、私の知る限りジョージ・バーナード・ショーによる言葉だと思います。(間違っていたらごめんなさい。私には、教養も文献を調べる時間的余裕もないので、何卒ご容赦を。)ショー特有の風刺がピリリときいている気がします。
私が中学1年生の時、英語の先生(女性)が「英語の先生にだけはなっちゃだめよ〜」と、ニヤニヤしながら発言されていました。「本当の実力がある人は、実際に世の中に出て活躍をするの。活躍できる力がない人が、他にやることがないから教えるのよ〜。」と、発言されていた記憶があります。
私は高校時代からグレ始めて、かろうじて大学は出たものの、25歳ごろまで「ニート」として実家で自堕落な生活をしていました。臨床心理士や鍼灸師を目指したのですが挫折し、やむを得ず、唯一の武器である英語で生きていく決意をし、その後20年近く英語を教える仕事をしてきました。あーあ。(笑)
できない奴が教えるのか、あるいは優秀な人間が教えるのかは、私が判断できる事柄ではありません。ただ一つ確実に言えることは、教える人間は、周囲から「先生!先生!」とちやほやされていくうちに堕落していく可能性があることを自覚すべきである、ということです。教師は、教える仕事は相当「ろくでもない」仕事である可能性があることを自覚する義務があると思う。
もう1つ言えることは、教職に情熱を持てない教師が、意外と若者を救うことがあるということです。私が高校時代に強く影響を受けた先生は、飲んだくれて期末試験の解答用紙を紛失してしまった社会科の先生(笑)と、休日に校舎内で酒を勧めてくれた(私は飲んでいはいませんヨ)美術の先生でした。
私も、そのような「異端者」として、救える人をきちんと救っていきたいと思います。はぐれ者は、はぐれ者にしか救えないのかもしれない。私なりに、与えられた役割を果たしていく所存です。大学の元教え子から、「私は野口先生に影響を受けて、教師になりました。」という連絡をもらい、複雑な気持ちになりました。ま、でも、本人が納得して選択した道なのだから、しょうがないかな。(苦笑)
He who can, does. He who cannot, teaches but may help some troubled youngsters. 〜Futaro〜