長らくひっかかっているテーマです。「好き」と発言したら、その対象を「全肯定」したことになってしまうのか?もちろん、答えはNOのはずなのですが・・・

学生時代に合唱部に所属し、かなり著名な某指揮者(故人)の指導を仰ぐ機会に恵まれました。この先生の指導は魂をゆさぶるものでした。貴重な経験をさせていただき、関係者の皆様(先輩、同期生、等)には今でも感謝の気持ちで一杯です。

とある一日、合唱部の某先輩に、その指揮者の先生に対するあこがれの気持ちを伝えたら、その先輩から以下のような返事が返ってきました。今でもそのシーンを明瞭に覚えています。夕暮れの学食でのことでした。


のぐちゃん(私のあだ名)、あの先生は「乳首だって立つんだぞ〜」とか言うんだぞ。どうだ、イメージが崩れたか? ぎゃっはっはっは〜


この先輩はいったい私に何を伝えたかったのだろう?苦笑
私が思考停止をしていると判断し、あるいは私のことを「純粋まっすぐ君」であると規定し、私が大人になる(成長する?)ように促してくれようとしたのか? う〜ん…


私の価値観の中では「尊敬する指揮者であること」と「乳首立つという猥談(?)をすること」とは矛盾しないのです。ある人のことを「好き」とか「尊敬する」と思ったからといって、その人を全肯定したことにはならないし、なるはずもない。


でも、私はこのようなケースを何度も経験してきました。「好き」=「全肯定」というassumption(思い込み)を、意識しているか否かはともかく、持っている人は結構多いかもしれません。


論理学的に考えると「Aを好き」と発言したからと言って「Bが嫌い」だとは限らないのですが、そのように解釈されるリスクがあるのです。「A」という派閥に属した時点で「B」という派閥の人たちから白い目で見られる可能性が生じます。論理的な反応ではないとしてもです。そもそも、人間は論理的な存在ではないのだから。


「今日は綺麗だね」と発言したからといって、「普段は綺麗ではない」とはなりません。が、注意しないと、そのような突っ込み(例:普段は綺麗じゃないとでも言うの!)が返ってくる可能性がある。苦笑


「好き」という発言にも、注意が必要なのかもしれません。