もう20年以上前の話であり、「若気の至り」と片付けても許されるのかもしれませんが・・


私には、小選挙区制導入を支持していた「過去」があります。「小選挙区制が導入されれば政治の堕落や腐敗が解決される」という類の「まやかし」を、ある程度信じてしまった。そして、小選挙区制を支持する政党に投票してしまったことがある。


「日本の風土では小選挙区制は危険だ」という、賢明な友の意見には耳を傾けず、あるいはその発言の真意すら理解できず、選挙制度を変えれば日本が良くなるのかもしれないと、当時の私は稚拙な期待を抱いてしまった。


こんな過去を白状しなくてはいけないのは、当時からの知り合いがこのブログの読者にいるから(嬉しいことです)でもあり、また多少なりとも学問的・政治的な発言をする人間として、自分の「転向」や「意見変更」には「総括」が必要であると自覚しているからでもあります。いくら若かったとはいえ、浅はかでした。申し訳ありません。


小選挙区制には、政治の争点を二項対立で丁寧に議論していく知的風土等の「素地」が必要である。日本のような、世間の「和」や「合意」を大切にする風土の国には向いていない。昔の中選挙区制の方が、少数意見を取り入れることができ、健全な野党が議席を確保する余地があった。また、「死に票」が減るメリットもあった。


もう一点。投票を「権利」と解釈するのはいかがなものか。投票は「義務」にすべきではないか。たとえばオーストラリアのように、投票を義務化し、投票しなかった人には罰則を適用すればよい。あるいは、逆の考え方として、制限選挙の実施も一案である。もちろん、家柄とか収入などで選挙権を決めるなどという時代錯誤な提案をするつもりはない。たとえば、ごくごく最低限の政治の知識を問うペーパーテストを課して、合格者のみに投票権を与えてはどうか。運転免許を得る際の試験レベルの簡単なテストでよい。今のように、一定の年齢に達しさえすれば誰でも「権利」として投票できる制度なんて、政治を馬鹿にしていないだろうか。今考えると、浅薄な20歳の私に選挙権を与えてはいけなかった。


懺悔。そして合掌。