11月に開催された、ビル・オハンロン先生による催眠療法のセミナーは素晴らしい内容でした。
http://www.holonpbi.com/ohanlon/index.html
関係者の皆様、貴重な学びの場を提供していただき、本当にありがとうございました。


言葉の使い方等のスキルも当然勉強になったのですが、一番刺激的だったのはオハンロン先生の「世界観」でした。オハンロン先生の言葉では"something bigger than the two of us"(セラピストとクライアントの二人よりも大きな何か)、つまり何らかの超越的な流れに身を任せていると、自ずから道が開ける場合がある。そのような可能性を信頼する「世界観」を、デモセッション等を通じて目の当たりにすることができました。美しい世界観に触れることができ、心が洗われました。あくまで私の主観ですが、何らかのトランスパーソナルな世界観・宗教的な世界観を前提にオハンロン先生はセッションをされているのだと思います。


さて、セミナーの2日目(だったと記憶しています)の昼食休憩中に、疲れていた私は静かに食事をしたかったので、会場から15分くらい歩いて食堂に入りました。ここなら知り合いに会わずのんびりできると思っていたら、なんとなんと通訳の川瀬勝先生が店に入ってきたではないですか。シンクロニシティーにびっくり! ^^ 川瀬先生は、私にとってあこがれの通訳者です。通訳論や翻訳論に花を咲かせました。^^


以下、川瀬先生との会話で話題になった内容、及び私が得た学びです。あくまで私の意見や感想であって、川瀬先生のご意見と同じではないかもしれませんので、あしからず。(川瀬先生には、この文章を書くご了解いただいています。)


(1) 通訳はart(アート)である。

英語の"art"は日本語にしづらいのですが、「芸術」「匠の技」というニュアンスがあります。通訳は、決して機械的に英語と日本語の間を行ったりきたりするわけではない。たとえば、"love"と"愛"という二つの言葉を例に考えても、それぞれの意味、ニュアンス、こめられた文化的・歴史的背景は異なる。英語の"love"は守備範囲が広い。たとえば、息子が父親に"I love you."と言うこともよくあるのです。それを機械的に「私はあなたを愛しています」と訳しては、本来の意味が伝わらない。


歴史的背景、宗教的背景、文化的背景が異なる英語と日本語という二つの言語の間を瞬時に行ったり来たりするためには、単なる知識やスキルの積み重ねだけでは困難です。もちろん、ある程度の英語力と知識は必要不可欠です。それは大前提。だが、その前提に加えて、通訳本人の人間性、人生経験、等の全てが問われる。そういう意味において、通訳はアートなのです。そして、川瀬先生の通訳は安心して聞いていることができる。匠の技と愛を感じます。


(2) 通訳不可能性

一冊の本が書けるくらい大きなテーマなのですが、私は「100%正しい通訳」は不可能だと考えます。つまり、究極的には「通訳は不可能」なのです。(私のこのような発想は、構造主義がベースになっています。)この厳しい現実(通訳不可能性)を前提にして、あえて通訳をする。言葉の表面的な意味を超えて、元の発言の真意やニュアンスを伝えようとする。状況によっては、元の英単語の辞書的な意味を壊してでも、こなれた日本語を使う方が良い場合もある。「客観的に正しい通訳」なんて存在しないという前提に立って、それでもあえて通訳を試みる。「不可能を可能にしよう」と努力し続けるのが、通訳者の仕事なのではないか。


(3) 通訳は魂を通す

英語から日本語に通訳をする場合、英語→魂→日本語という経路が必要だと思うのです。通訳者は自分の心や魂に「響く」「しっくりくる」単語を選ぶ必要がある。通訳者は、建前としては「無色透明」な存在だ。しかし、実際には通訳者の人格や魂が大切である。通訳者の魂がこもっていない日本語訳は、聴衆の心を打たない。


オハンロン先生の魅力と川瀬先生の魅力が融合し、素晴らしいセミナーになったのだと思います。


感謝。合掌。