日々GMAT SC(Sentence Correction)を教えている私が、このブログで文法についてあまり書いてこなかったのには、何らかの心の制限があったのだと思います。英語を教える仕事にだけは就きたくなかった私が、ニートだった25歳の頃にお金が完全に無くなり、やむを得ず「最後の手段」として英会話を教えだしました。その後、よく言えば「流れにのって」、悪く言えば「惰性」で、ずっと英語教育に関わってききたのです。英会話学校、塾、予備校、大学、等々で。自己嫌悪を感じつつ。
ただし、最近ご縁があり、長年の夢だった心理学関連の仕事もさせていただくようになりました。すると、面白いことに、かえって英語講師としてのアイデンティティーに意味を感じられるようになってきたのです。特に、英文法をしっかりと分かりやすく教えることに、使命感を覚えている今日この頃です。
文法はロマンである。一つの言語共同体が歴史の中で形成してきた物語である。一人の人間に物語があるのと同様に、言語共同体にも物語がある。そして、一神教を背景とした言語には、当然ながら文法ルールの奥に「絶対神」が存在する。よって、英文法をきちんと体系だって理解したければ、キリスト教の発想を大切にする必要がある。ところが、英文法を無機質な暗記科目として教える場合が多いため、英文法がつまらないものになってしまう。英文法に「神」を取り入れることが学問的に困難なのであれば、私の様な在野の人間が自由に英文法を語ることにも、なんらかの意味があるのかもしれない。英語の歴史を語る学者や、科学的なアプローチで英文法を語る専門家も、もちろん必要である。ただし、「学問としての英文法」や「史実に基づいた英文法」と同じくらい、「物語としての英文法」も大切なのだと思う。
人には物語が必要で、国家にも物語が存在する。そして、一つの言語にも文法という「物語」(ストーリー)が潜んでいる。
合掌。生かしていただいてありがとうございます。