You have to trust that the dots will somehow connect in your future. (Steve Jobs)
点と点が将来どうにか<つながる>ということを信じなさい。(スティーブ・ジョブス)


ビターな話だけではなく、スイートな話も書いてほしいとのリクエストをいただきましたが、思い出せるのはビターな話ばかりなんですよね。苦笑 まあ、でもそのようなビターな話があったからこそ、今の私があると思いたいのです。


留学先の高校では他にもう一人日本人留学生がいたのですが、一回話した際になぜか嫌われたらしく、その後は会話することが全くありませんでした。あ、またビターなことを書いてしまった。(苦笑) 日本に電話をしようにも、当時は国際電話の料金が非常に高かったので無理。インターネットもなかった。つまり、日本語で会話をする機会が全くありませんでした。日本語は、たまに母親と手紙のやりとりをしたのと、さだまさしと中島みゆきの歌を聴く際に触れるくらいだったのです。


そんな環境にいた私は、アメリカに着いてから3か月位経ったころから日記が少しずつ英語になっていき、夢も英語で見るようになっていきました。つまり、英語学習という観点で考えると理想的(?)な環境にいたのですね。半年ほどたって、おそらく人種差別的な心情が基になっていたと後から気づかされたのですが、高校の先生に濡れ衣を着せられて叱責された際に、1分間ほどクラスメート達の前でまくしたてて反論できた際には、我ながらびっくりしました。


私の場合は「学校でいじめられ」「親と仲が悪く」「日本が嫌いで脱出したかった」ことが動機で、逃げるようにアメリカへ渡りました。留学プログラム(YFU: Youth For Understanding)を利用したので往復の飛行機は確保されていたものの、精神的には「片道切符での渡米」でした。そして、滞在先には日本を使う機会が全くなかったという事情があったので、私の英語力は比較的順調に向上していきました。


というわけで、私の英語力上達に一番貢献したのは、私が「不幸だった」という事実なのかもしれません。苦笑