私の「ホリスティック音読」のもう一つの源流は、故・丸山圭三郎先生です。丸山先生はソシュール(スイスの言語学者)の思想を日本へ紹介した、構造主義の一人者だった方でした。私は大学時代に栗本慎一郎氏の本の中で丸山先生の構造主義に出逢い、国際政治のゼミに所属していたくせに「ことばと権力」というタイトルの卒論を書いてしまう程に「ことば」の研究に魅了されました。
構造主義の発想の基本は「視点が意味をつくる」という点にあります。簡単に言うと相対主義の視点ですね。言葉以前に意味があるのではなく、言葉が意味を作る。言葉が勝手に意味という「文節」を作る。たとえば、虹の色を何色に分類するかは言語の勝手です。日本語では七色ですが、言語によっては六色だったり三色だったり。極端な事例としては、バッサ語(リベリアの言語)ではなんと二色(hui, ziza)だととらえる。つまり、言語以前に意味があるのではなく、言語が意味を作る。
日本人が英語を学ぶ場合、どうしても英単語の意味を日本語に訳して覚えようとする傾向があるわけが、そのような単語習得法には限界があるのです。英単語の意味と日本語の意味は一対一に対応しているわけではありません。"on"という単語の意味の一部が「上」という意味であり、逆に「上」という単語の意味の一部が"on"であると考えることができます。"on"は「接触している」「くっついている」という意味ですから、仮に天井の「下」に蝶々がとまっていても"There is a butterfly on the ceiling"と言えます(このケースでは、on=下)し、逆に机の「上(ただし机とは接触していない状態)にランプがあっても、接触していないのであれば"on"は使えません。(正しくは"above"や"over"を使う必要があります。)
英語学習法で一番大切なことは「英語脳(英語回路)」を創ることです。英語を日本語に訳さずに「英語を英語で考える(Think in English)」ことが出来るようになることが大切なのです。環境的に自然とバイリンガルに育った子供であれば、何の工夫もせずにそのような状態になるものなのですが、一定の年齢に達してから本格的な英語力を身に着けるためには工夫が必要です。勉強の最初のステップとしては、英語を日本語に訳してもやむを得ないと私は考えます。ただし、その際には、英語と日本語の意味のずれに関する配慮が必要ですし、辞書はできるだけ英英辞典を使う方がよいでしょう。大人になってから英語を勉強する人に「英語で考えろ!」と根性論を押し付けても意味がありません。最初は日本語で考えてもよいのです。
ただし、いったん日本語の助けを借りて意味を理解した英文を、次に「脱・日本語化」してください。日本語で意味を理解した英文を、繰り返し音読することによって日本語抜きでも意味がとれるようになっていく。試してみれば分かることですが、英語を音読しながら、同時に日本語で意味を考えることは困難です。つまり、音読をすることで「脱日本語」「英語で考える」「英語の視点で世の中を見る」ことができるようになるわけです。
日本語という眼鏡を通してでしか世の中を見てこなかった人が、英語を学ぶことで「英語という新しい眼鏡」を獲得できるのです。NLP(神経言語プログラミング)の言葉を使えば「新しい地図」を獲得することができるわけです。