高校時代にアメリカで過ごした1年間
行き詰るといつもさだまさしの歌を聞いていました。


16歳の少年に、さだまさしのどろどろとした大人の
世界が理解できていたとは思えないのですが。(苦笑)


心の時代(プライス・ダウン・リイシュー盤)
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  あの爆弾をこの町に落とした人が
 今度は僕たちの国を護っていると聞かされて
 僕には どういう意味だか 飲み込めなかったんだ
 そう、もう少し大人になる迄は


 さだまさし 「神の恵み 〜 A Day of Proidence 〜」より



さだまさしが幼い頃、長崎港に降り立った米兵が
子供達にチョコレートを配りだした。しかし、まさし
少年はなぜだかチョコレートを受け取れなかった。


さだまさしがいろいろな媒体で述べている逸話です。


日本に原爆を落としたアメリカという国をそんな急に
許せなかった、あるいは認められなかった。そして、
そのような態度は実は自然なものなのではないか?


中国において反日感情が強いのは周知の事実です。


西部邁と小林よしのりは、対談の中で、あの戦争の恨みで
反日感情が強い中国人を指して、「親を殺した国を恨み
続けるのはむしろ当然のことで、アメリカべったりに
なった日本人の方がむしろ不自然なのではないか」と
いう趣旨の発言をしています。

「本日の雑談(4) 飛鳥新社 より」



むしろ中国人のように、恨みを持ち続けることが普通なのであって、
手のひらを返したようにアメリカべったりになった日本の方が
異常なのかもしれない・・・


私は1968年生まれで、戦争を知らない世代です。
なのに、フィリピンの戦場をさまよう悪夢を見たりする。


私が大好きだった伯母さん(Aunt Fumiko)は、戦後すぐ米兵と結婚し、
アメリカへ移住しました。そして、その旦那さま(Uncle Roger)は
とってもやさしい、涙が出るほど思いやりがあるいいおじさまだった。


ロジャーおじさまが結婚50周年を記念して自ら作った記念ビデオには、
広島の原爆投下シーンが含まれていた。


「この原爆がなかったら戦争は終わらなかった。そして、この戦争が
終わったおかげで、日本が救われ、そして私はFumikoと出逢った。
だからこの記念ビデオに原爆シーンがあるのは当然だ。」と私に語った。


いや、違う。あの原爆がなくても戦争は終わっていた。
あれは技術実験、アジア人にだからできた大量殺戮ではないのか!
また、パールハーバーを「戦線布告をしていないだまし討ち」と
批判するけど、じゃあ、アメリカ自身が戦線布告をせずに始めた戦争が
どれだけたくさんあったか知っているというのか!


でも、そんな無茶苦茶を言うロジャーおじさまが、僕は大好き
だった。アメリカ旅行中肩凝りに苦しんでいた僕に、彼愛用の
マッサージ器を「自由に使ってくれ」と差し出してくれた、
そんなやさしい愛情あふれるおじさまだった。


私は、アメリカという国とどのような付き合いをしていけば
よいのか模索中です。英語を教え、社交ダンスが趣味の私が
「愛国」を語ることに果たして説得力があるのかどうか・・・


ただ一つ言えることは、何人だろうがどの人種だろうが、
素晴らしい人は素晴らしい、ということ。アメリカを批判
しつつも、目の前にいるアメリカ人と付き合うときは、
「国」という要素をはずして、その人と「人と人」として
向き合うこと。このような態度を前提として、アメリカを
批判的に見続けていく義務が私にはある。


数年前にFumikoおばさまが、昨年Rogerおじさまが亡くなりました。
日本の親族を代表して、昨年夏私がお墓参りに行ってきました。
カルフォルニア郊外の、退役軍人専用の墓地でした。(上記写真)
様々な複雑な想いが頭をよぎる中、黙とうを捧げました。




Dear Uncle Roger and Aunt Fumiko,


Thank you very much for the wonderful love and support
that you gave to me. God bless you.


Tetsuya



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