春になり、Affinity英語学院は留学を目指す社会人の方で賑やかになってきました。デジタルハリウッド大学も、新入生を向かえ、初々しい活気に満ちています。留学から帰ってきた新4年生に久々に会うのも楽しみ。みんな就職活動頑張れ!


明治大学と法政大学のTOEFL講座ももうすぐスタートします。留学に向けて、一緒に頑張りましょうね。

私が今一番「はまって」いるのは数学です。


先崎学の浮いたり沈んだり (文春文庫)


先崎学八段。将棋棋士。米長邦雄永世棋聖の弟子。美学とこだわりをもつ、人間くさい棋士。A級復帰をめざしてほしい!毎月、将棋世界の連載を欠かさず読ませていただいております。そして、そんな先崎さんの、数学に関するエピソードです。


中学生になり、代数の勉強がはじまった。そして、「2X」(2エックス)という表記でつまづいた。何故掛け算のマーク(×)を取らなきゃいけないんだ、と。 数字の場合は「2×3」と表記するのに、なぜ代数では「2 × X(エックス)」と書かずに「2X」と省略をするのか、と。<<>>

私は堂々と質問した。
「なんでかけるを取るんですか」
周りからどっと笑い声があがった。
「なんでってそういうきまりなんだ」
こう先生は答えた。
私はなおも食い下がった。
「必要ないから取るんですよね。ならば何で小学校で教えるんですか。」
先生は答えなかった。無視しやがったのである。<<<<<>>>>>


分かるなあ。私も中学生のころ、同じようなたぐいの質問をして、暴力教師に竹刀でなぐられていました。数学に限らず、英語でも「なぜ」にこだわって質問すると、「ぐだぐだ言わずに覚えろ!」という声が帰ってきた。


今考えると、彼ら(教師)は答えを知らなかったんですね。いや、答えを知らなかったというよりも、答えを考えようとする姿勢や、知らないことは知らないと生徒に伝える謙虚さに欠けていた、という方が正しいのかもしれない。<<>>

私は中学生なりに考えたのである。
数学は理詰めの世界だ。ならば、生徒の理詰めの質問には、
たとえそれがどんなにくだらないことであっても答えるべきだ。
くだない質問は無視する、というのは数学を教える人間のする
べきことではない。<<<<<>>>>>


そうして、先崎少年は数学からドロップアウトしていった。ただし、「生来、数学的なもの、については好きな方」とも述べている。


私も、高校で数学の授業についていけなくなりました。でも、「数学的発想」や「ロジカルシンキング」は大好きです。また、英文法の大切なポイントである"a"と"the"の使い分けを正しく理解するためには、数学の「集合」の考え方が不可欠であると信じています。


4月よりAffinity英語学院でGMATの数学のクラスを開講しました。とっても楽しいんですよ。(笑) GMATの数学、そしてその基になっているアメリカの数学教育は、日本の数学教育とは発想がかなり異なります。アメリカの高校での数学授業で、計算機の使用が自由なのにはびっくりしました。計算は機械にまかせておけば良いじゃないか。人間は、考え方のプロセスや「なぜ」という疑問を大切にすれば良いのだ、というラーソン先生(懐かしい!)の言葉、アメリカ流の教育方針に刺激を受けました。


英語教育において「文化」が論点になるのは当然ですが、私は数学教育においても「文化」という側面がとてつもなく大切であると考えます。GMAT Mathにおける Data Sufficiencyの問題形式は、「答えが出ることが分かっている問題を計算させる」だけの日本の数学教育と、「計算はしなくても良いから、答えが
出るかどうかの判断をさせる」という、思考力を鍛えることを目指すアメリカ流数学教育の差を示していると思います。


ずっと「数学をやり直したい!」と思ってきたのですが、ふとしたことがきっかけで修行の場を与えられました。きっかけを与えてくださったAffinityの生徒さんの皆様に感謝します。