私は、テレビの人気番組「行列のできる法律相談所」が好きで、よく見ます。しばらく前のことですが、痴漢冤罪のことが話題になっていました。テーマは、「何もやましいことをしていないのに、痴漢(ちかん)の疑いをかけられた時にどうするか?」


北村弁護士の答えは「逃げろ!」「その場を立ち去れ!」という衝撃的なものでした。他の弁護士が、「もし逃げ切れなかったら、かえって立場が悪くなる」と反論したところ、「逃げなかったらどうせひどい目に遭うんだから、ダメモトで逃げるしかないじゃないか」という主旨の発言をされていました。


「行列」は、最近ただのバラエティーショーと化しているのが残念です。確かに島田紳助のトークは素晴らしいのだけど、原点に戻ってもっと法律の議論を多くしてほしい。


今の日本の司法のむちゃくちゃな状況では、「悪者!」のレッテルを貼られたら覆すのは大変なことです。北村先生は、そのような絶望的な状況を良く分かった上で、苦肉の策として「逃げろ!」と発言されたのだと思います。


周知の通り、日本の刑事裁判の有罪率は約99%です。「推定無罪」の原則が徹底されているとはとても思えません。「有罪だという証拠はないが、無罪だという証拠もない。だから有罪だ!」という主旨の判決が出たこともあります。本来の「推定無罪」の考え方だと、しっかりとした証拠・根拠がない限り有罪
の判決を下してはいけません。つまり、「白」と「黒」の中間の「グレー」は罰しない、「疑わしきは罰せず」いうのが本来の考え方です。


司法を考える場合、以下の4つのパターンをどう処理するかがポイントになります。


(1) 実際に犯罪を犯した → 有罪判決が下る
(2) 実際に犯罪を犯した → 無罪判決が下る
(3) 実際には犯罪を犯していない → 有罪判決が下る
(4) 実際には犯罪を犯していない → 無罪判決が下る


全てのケースが(1)(はっきりと黒)と(4)(はっきりと白)のいずれかで解決するのが理想なのですが、グレーのケース(2)(3)をどうするか、が法律を考える上では頭の痛い問題です。「推定無罪」の原則だと、できるだけ(3)のケース(冤罪)を減らして、(2)のケースを多少は甘受するはずなのですが、今までの日本では、実質「推定有罪」(疑わしきは罰する)、つまり(2)のケースを限りなくゼロにして、(3)のケース(冤罪)を増やしてしまう。(意図的ではないにしても。)


さらに、いったんマスメディアが「犯罪者」のレッテルを貼ると、その「空気」を覆すのが難しい、という問題もあります。さらには、プロの裁判官ではなく「素人」の方が正しい判断が可能である、というおぞましい前提に基づいた裁判員制度が始まってしまいました。確かに、検察は変かもしれないが、素人が参加することで問題が解決する、と考えるのは、単なる「幻想」に過ぎない。やるべきなのは、プロを中心に、しっかりとした議論をすること。上記の(2)(3)のケースをどうすべきか、「推定無罪」という原則をどうすべきか、をちゃんと議論することだ。


今の日本は、政治も司法も「素人が正しい」という考えがまかり通る、おぞましき「衆愚」の時代です。少し歴史を学べば、「衆愚」がおそろしい道であることは自明の理なのに。



さて、植草一秀氏は本当に痴漢なのか? 私は司法の素人なので判断は保留します。だけど、以下の本は衝撃的に面白かったです。無批判にアメリカに追随し、日本をアメリカに売り渡してきた「売国奴たち」への痛烈な批判です。




売国者たちの末路
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副島 隆彦 植草 一秀
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