通訳論です。1回では終わらなそうな気がするので、タイトルは「その1」としてみました。
「同時通訳の神様」こと、國弘正雄先生がお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りいたします。
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2014/11/25/kiji/K20141125009352380.html
私の英語の師匠(浅野中学校の持丸美雄先生)の師匠が國弘先生だったご縁で、國弘先生とお話しをする機会に数回恵まれました。國弘先生の著書もかなり読み、私自身の英語講師としての在り方は、基本的には國弘先生の教えによって成り立っています。私がTOEFL Speakingの指導において、サンプルアンサーやスピーチの「音読」を重視するのは國弘先生の影響です。
高校3年の頃だったと思います。お電話で「英語だけは専攻にするな」というアドバイスをいただき、結果私は大学で社会学を専攻するに至りました。英語はコミュニケーションの道具であり、英語そのものを研究対象にはしない方が良いというアドバイスは、國弘先生が様々な経験を通じて得た「哲学」に基づくものだったのだと思います。(もちろん、一般論としては、英語を専攻することが悪いわけではありませんので、念のため。)
國弘先生の本で一番印象に残っているのは以下のものです。
日本英語教育協会
売り上げランキング: 2,062,468
残念ながら、この本は私の手元にはありません。Amazon上にて古本が高価で取引されている様子なので、入手は困難なのかもしれません。
というわけで、記憶に基づいて以下のことを書くことをお許しください。高校時代に読んだ記憶なので、いかんせん曖昧なのですが・・・
同時通訳をする条件として「大ざっぱであること」(「大胆であること」だったかもしれません。ご存じの方、教えていただけないでしょうか)を挙げられていたのが印象的でした。同時通訳において、100%正確にメッセージを伝えることは原理的に無理なのです。その根本的な理由は「そもそも、外国語を正確に翻訳すること自体が不可能な行為である」という「翻訳不可能性」です。ましてや、それが「同時通訳」ともなると、余計なことを考えている暇がありません。そこで、ある程度「おおざっぱ」でないと、同時通訳は成り立たないのです。英語の「辞書的な意味」や「直訳的な意味」にこだわっていては通訳など出来ない。言葉の奥底にある本質をつかみ出して、それを日本語にする。決して、英語から日本語へと表面的に、機械的に移すのではない。本質を大切にする以上は、教科書的な訳語を、ある程度は壊さないといけない場合もある。そのような意味において、國弘先生は「大ざっぱさ」や「大胆さ」という言葉を使われたのだと私は理解しています。
この本の中には「ハワイ留学時代にはドッグフードで飢えをしのいだ」というエピソードも登場します。「落ちこぼれの英語修行」というタイトルにも惹かれました。どういう意味合いで「落ちこぼれ」という言葉を選ばれたのかは分かりませんが、確かに「正統派」ではなかったのかもしれません。戦中に、独学で中学校のテキストを音読することによって英語力を鍛えたのですから。そして、私も中学3年生の1年間に、國弘先生の教え通りに、ひたすら英語を音読しました。中学の教科書、百万人の英語(懐かしい!)のテキスト等を1日平均6時間くらいは音読していたと思います。そして、その音読のおかげで、高校1年の夏にアメリカへ留学した際には、それなりに英語が喋れました。渡米2日目に、ホストシスターから「Tetsuyaは英語が上手いから、教える必要はないね。つまらない。」と言われたのは、どう考えても持丸先生と國弘先生のおかげでした。
國弘先生の影響もあり、また私自身の反骨的な気質もあり、私の英語教育論は大胆かつ大ざっぱです。多くの同業者が語る英語教育論は、理屈っぽすぎてついていけない場合があります。私は英語学習の基本は「音読にあり」だと思っています。初級〜中級のレベルにおいては、ひたすら修行のごとく「音読」をすべきである。國弘先生とは対極の立場にいるとされてきた、「多読派」の松本道弘先生も、近年は「少なくとも初級者の頃は音読も大切」とお認めになっています。(最近、松本先生から直接伺った話なので、間違いありません。)
國弘流の英語学習法は、以下の本に詳しく語られています。
そして、國弘流の「音読論」は、たとえば安河内哲也先生が説く「英語習得法」の中にも生きているのです。
國弘先生、色々とありがとうございました。思想的・政治的な立場の違い等の諸事情から、私は國弘先生の人脈からは離れてしまいましたが、振り返ってみると私は大きな大きな財産を國弘先生からいただいていたことに気づかされました。
感謝。合掌。
追記:
國弘正雄先生と松本道弘先生との対話の様子が、以下のページ(紘道館)に記されています。
http://www.english-kodokan.com/kodokan-19-07-10.html