GMAT CR(Critical Reasoning)クラスで、しばしば議論になる問題があります。正解の選択肢が「ある政策によって人々が銀行に貯金することを促せるものの、貯金するのと同じくらいの金額を別の銀行から借金してしまうので、結果的に銀行の手持ちの資金が増えない」という内容なのですが、昨年ある受講生(金融のプロ)から「日本人ならそんな貯蓄行動はとらない。」というつっこみをいただきました。(苦笑) この受講生は、実際にその選択肢を選べなかったのです。GMAT CRはロジックの試験なので、実際に人々がどのような行動をとるかは関係がないこと、およびアメリカ人ならそのような貯蓄行動をとることは十分にあり得ること等を説明し、納得はしていただけました。ですが、私にとっても色々と考えさせられた、刺激的な「つっこみ」でした。確かに、日米間で貯蓄や借金に関する価値観や行動がかなり異りますからね。


お世話になったホストファミリーの1つが、本業やらパートやらで貯めたお金を年に1回の家族旅行で使い切るという「貯蓄行動」をとっていたのです。話を聞く限り、特に他には定期預金等の貯蓄をしている様子もなく、「貯めたお金は使うもの」という前提で生活をしている様子でした。日本だったら、特に目的はなくても「お金は貯めるもの」という前提があるような気がします。私のアメリカ体験は30年以上前のことであり、その後日本はお金に関する面でもアメリカ化を遂げつつあります。また、私の体験を普遍化することには慎重になりたいですが、それでもやはり日米の間には明らかな差がありますね。専門家のデータが示す通り、日本の方が貯蓄率が高いのです。


私が数理的な近代経済学に疑問を感じたのが、前提になっている「人間観」でした。人間を「常に合理的な消費行動&投資行動をとる存在」と規定している印象を受けて、実態とかけ離れ過ぎているなあと感じてしまったのです。私は、人間が「如何に非合理的な存在か」ということを、アメリカ経験をきっかけにして学んでいきました。経済学において「人とは何か」「お金とは何か」という根本的な問いを抜きに論を立てるのは危険なのです。経済学には「科学になりたい」と焦るが故に、人間を見つめることをサボってきた一面があるのではないでしょうか?