世の中は「二律背反(にりつはいはん)の濃い塊」となって存在する。勉強も大事だが、運動も大事。仕事も大切だが、遊びも大事。規制も必要だが、自由も必要。それらの二律背反の中で如何にバランスを保つべきかを考えるのが人生であり、政治の基本でもある。西部邁氏は、そのような二律背反の中で平衡を保つための知恵が伝統の中枢に蓄えられているとみなし、その伝統を保守しようとするのが保守思想の構え方であると説く。古い習慣にしがみついて思考停止をするのが保守なのでは決してなく、二律背反のなかで平衡を保つための知恵を歴史や伝統から学ぼうと構えるのが保守思想である。


民主党が政権を取って以来、いや正確に言うと自民党の小泉政権あたりから、二律背反の塊を直視することを人々が放棄する傾向が顕著になってきた。経済は市場における自由競争と政府による規制の両方が必要であるのにもかかわらず、「規制をぶちこわせ」というスローガンに人々が酔いしれた。コンクリートは人を守るものなのに、「コンクリートから人へ」と短絡的な物言いをした首相がいた。政治家による判断や決断と、官僚による地道な実行力とのバランスが国家運営の基本であることは自明の理なのに、「脱官僚」「政治主導」という乱暴な表現がうけた。そのような、二律背反を無視した短絡思考、単純な二分法的発想、破壊に酔いしれる大衆社会状況の中で民主党政権が誕生した。


文藝春秋 2011年 05月号 [雑誌]


以下、文藝春秋5月号の石原慎太郎氏の文章より。


p.107

民主党政権は「脱官僚」を標榜し、事務次官会議も廃止している。その結果、省庁間の役割分担がはっきりせず、官僚たちも機敏に動けずにいる。


少なくとも、この石原氏の文章が書かれた時点では、安全保障会議や事務次官会議は開かれていなかったらしい。官僚たちを信用していない、あるいは官僚を悪者にすることで人気を得ようとしている民主党政権は、今回のような国家の安全保障の危機においても、官僚に頼らない傾向がある。政治のリーダーシップの下で国家の指揮系統を一本化することが大切なのに、政府の動きには統一感がない。まるで、優秀な人には頼るのが正しいリーダーなのに、幼稚な万能感に浸っている今の政権は官僚を使いこなせていない。石原氏曰く、「(現政権は)無知で未熟な連中が集まって、役人を使わない。何をうぬぼれているのか」(http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110411/elc11041100460013-n1.htmより引用)創業者を継いだ二代目社長が、うぬぼれと見栄から初代社長(=創業者)に何も相談をせずに、独断で暴走をしているような状態だ。


そして、このような政治状況を生んだ責任は、「二律背反の塊」という現実を忘れて、単純で分かりやすいスローガンを掲げる政治家を支持してきたマスメディアと国民にあることを反省しなくてはならない。政治も大事だが、官僚も大事。自由も大切だが、規制も大切。喪に服して自粛することも重要だが、普段通りの生活をすることも重要。



色即是空、空即是色。合掌。