国を語れば“left”からブーイング
平和を歌えば“right”からクレーム


さだまさし 「神の恵み 〜 A Day of Providence」より


さださんが歌っている通り、日本は国を語ること自体がタブーとなるような、情けない国に成り下がってしまったのかもしれない。さださんは、日本という国を愛し、かつ平和の大切さを歌っているだけなのに、右(右翼)とか左(左翼)とか、レッテルを貼られて苦しんだ。


数年前のことです。私の本棚を見た訪問者が一言。「へー、右翼の本と左翼の本がが並んでいる。面白いねえ。」いったい何を意味しての発言なのか、私にはピンとこなかったのですが、どうやら西部邁氏と小林よしのり氏のことを指しているらしいことが分かりました。それにしても、よくそんな簡単にレッテルを貼ることができるなあ。そもそも、どっちが右翼でどっちが左翼だと言いたかったんだろう?両氏の本を読めば、二人とも、単純な思想的区分を許すほど、単純な思想家であることが分かるはずなのに。


小学校のホームルーム並み、いや下手したらそれ以下のレベルの議論しかできない日本の民主党政権。日本の民主党は国家を語らない。いや、そもそも日本の民主党には、党の綱領すら存在しない。近代民主主義国家において、綱領がない政党なんて許されて良いのか? 「もう親(官僚)に頼らなくたって生きていける! 親からの自立(脱官僚)だ!」と家出(?)したものの、結局一人では生きていけず、いつのまにやら謝罪もせずに甘えてずるずると家に戻り、家出の反動からか、母親(財務省)のお小遣いの範囲内でおとなしく、言われるがままに生活を送っているだけの子供(民主党)。アメリカの民主党には国家があるが、日本の民主党には国家がない。


まずは国を語ろう。国を語っていく中で、徐々に日本の歴史をバランスよく見つめなおそう。国を無批判に賛美するのではなく、また国の崩壊を目指すのでもない、健全な誇りを感じることができるような語り方で日本を語ろう。


合掌。生かして頂いてありがとう御座位ます。