前世療法―米国精神科医が体験した輪廻転生の神秘 (PHP文庫)


ヒプノセラピー(催眠療法)に「前世療法」というアプローチがあります。私のヒプノセラピーの師匠によると、前世療法を実践する際には、前世が「実体」としてするか否かは不問に付すようです。前世が実際に存在するのか否かは分からないが、「前世」という存在を前提にして「人生の物語」を組み立てることで人が癒されるという現実が大切なのである、と。ワイス博士による「前世療法」を読んでも、ワイス博士が「前世」を「実体」として信じているか否かについての言及はないようです。(事実誤認であれば修正しますので、ご指摘ください。私が読む限り、書かれていません。)聞いたところによると、ワイス博士は「前世」を実体として考えているのか否かについて非公式には発言をされているようです。が、ワイス博士がこの論点を書籍の中では「不問」に付しているところに博士の知的誠実さを感じる次第なので、その「回答」には触れません。また触れるべきではないと私は思うのです。


「前世」同様に、「魂」の定義も難しい。魂を「実体」としてとらえるのか、あるいは「物の見方」としてとらえるのか、という二つの立場の間で私は揺れています。スピリチュアル系の本の多くには、「実体としての魂」が語られています。が、私が尊敬する河合隼雄先生は後者の立場のようです。


こころの最終講義(新潮文庫)


p.224
(略)人間は心と体だけでできているのではなくて、人間を全体として、私も知らない私として存在させているものがある。そういうものを魂と考えたらどうか。




こころの読書教室 (新潮文庫)


p.159
ユング派の分析家のヒルマンが言っている魂の説明が僕は好きですね。それは、「魂という実体があるのではない」「魂ということを考える、あるいは魂ということを大切にするということは、世界に対する自分の見方を表しているのだ」ということです。(略)「心と体なんていって分けるけれども、心と体なんて分けられないよ」という見方が魂なのだというんです。

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「体」と「心」に分けて考えると、抜け落ちてしまう「何か」がある。その「何か」を、河合先生は「魂」と呼び、大切にすることを提唱されたのだと思います。


合掌。生かしていただきありがとうございます。