10回に亘って「風太郎のビターなアメリカ留学記」を書かせていただき、ごくごく少数の方からですが「続きを楽しみにしています」と声をかけていただいたのですが、色々な理由で連載が止まってしまいました。そこで、目先を変えて、いったん「オーストラリア留学記」を書くことにしました。
私は高校1年生の時にアメリカへ10か月ほど留学し、そして大学2年の時にオーストラリアへも10か月ほど留学しました。1990年のことでした。シドニーオリンピックの前のことであり、シドニーが今よりも「田舎」だったころのことです。アメリカ留学同様、オーストラリア留学も私にとってはビターな経験でしたが、ビターな経験なりに「総括」をしたくなったのです。過去の経験自体は変えられないけれども、過去の経験の「印象」や「解釈」を変えたり、あるいは「学び」を得ることならば、今でもできるはずだから。
シドニー大学の寮の1つ、インターナショナルハウスに到着した最初の印象は「臭い!」でした。あの匂いは、後で考えると西洋人独特の「体臭」がこもったものだった気がするのです。他にも、私のオーストラリアの記憶には「匂い」に関するものが多い。
また、それまで写真に全く興味がなかった私がたくさん写真を撮るようになり、帰国後写真が得意な友人に「素晴らしい写真が多い!」感動され、その友人は大学の卒業旅行にオーストラリアを選んだほど私の影響を受けたのでした。私の写真を撮る技術が凄かったのではなく、オーストラリアの美しい光景が私に「写真を撮らせた」のです。つきぬけるように高い空、青い海、茶色の砂漠、赤や黄色の鳥などの、シンプルで強い「原色」の光景が鮮明に記憶の中にあります。そして、あの人の悲しげな目。あなたは何を見ていたのだろう。私のこと?それとも、私の目に映る自分の悲しみ?あるいは・・
しばらくオーストラリアについて書かせてください。