われ敗れたり - コンピュータ棋戦のすべてを語る (中公文庫)


私は将棋の故・米長邦雄永世棋聖が大好きで、ものすごく影響を受けています。ただ、米長さんはかなりの変人(変態?)だったらしく、色々と悪い噂も耳にします。私が都内某所でマッサージを受けた際に、たまたま担当の方が米長さんを担当していたことがある方で、それらの噂のほとんどが事実であると証言されていました。まあ、私も変人ですので(笑)そのあたりのことは私には気になりません。私は理屈を超えて米長さんが好きであり、彼が亡くなってからは喪失感が続いています。ああ、もう米長さんの発言に触れることはできないんだなあ。。

以前、テレビ対局で、米長さんと「ひふみん」こと加藤一二三さんがダブル解説をしたことがあります。真理追求派の加藤一二三九段が盤上の最善手を予想しているのに対し、米長邦雄永世棋聖は「内藤さん(対局者の一人だった内藤國雄九段)ならこう指すだろう」という「読み」を披露していました。

以下、米長さんの発言です。

(加藤さんが内藤さんの差し手予想をはずしたことを受けて)「加藤さんね、長い間付き合ってね、内藤さんがそういう人間じゃないってことを分かってなきゃおかしいんだなあ。」

(内藤さんとは)「何十年の付き合いですからね。善悪じゃないんですよね。」


「加藤さん、あなたはね、(内藤さんと)何十年の付き合いだか分からないんだけどね、あなたは将棋の最善手を求めいている。私はね、この人間ならどういうことを指すかということだけを言っている・・・」


敬虔なるカトリック信者でもある加藤さんが「盤面における最前手」「真理」を追究しつづけているのに対して、米長さんは「この人ならこう指すであろう」「相手が一番嫌なのはこの手であろう」という「その人にとっての最善」を追いかけているのです。「一神教と多神教との違いによるすれちちがい」が、加藤さんと米長さんとの会話にはよく見受けられます。

私は、この二人の「人間観」の違いに身震いするほどの知的興奮を覚えると共に、異なる人間観を持つ人間同士は「なかなか分かり合えない」という寂しい現実にも気づかされるのです。

そんな人間臭い米長さんが、将棋連盟の会長を務めていた時にコンピューター将棋とプロ棋士との対戦を企画しました。「プロ棋士達はコンピューター将棋とは対戦しません」と突っぱねる手もあったのですが、色々な事情を考えてそのような企画を打ち出したのでしょう。単なる好奇心だったのかもしれないし、将棋界の発展を考えてのことかもしれないし、さらにはお金のためだったのかもしれない。まあ、生きていると色々なことがあるのです。そして「まずは自分が対戦する」と発案し、負けてしまった経緯を綴ったのがこの本です。