アリストテツヤ

「ソーカワクラテス」というお名前でYouTuberとして活躍されている寒川(そうかわ)さんから「アリストテツヤ(私の名前は飯島哲也)という名前で一緒に動画を撮影しませんか?」という楽しいご依頼をいただき、大阪にて一気に6回分撮影をしてきました。

 

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ソーカワクラテスさんとも、そして撮影者の方とも、10年以上ぶりの再会だったのですが、波長が合うせいか、大阪という場の力なのか、撮影はスムーズに進みました。

 

ソーカワクラテスさんは日本語教育という現場があり、私には英語教育という現場があります。学問ではアプローチしにくい疑問点について、主にNLP(神経言語プログラミング)の知見を借りて、日本語についてのご質問に回答させていただきました。

 

今回は「日本語では、なぜ過去のことを<~前>と表現し、未来のことを<~後>と表現するのか」というご質問を扱いました。これは、実際に日本語教育にかかわっている方から寄せられた質問です。

 

私の仮説は以下です。一人の人間にも一つの文化にも、「時(とき)」に関する独特のとらえ方があるのです。NLP心理学の言葉を使えば「タイムライン」の議論です。時間をまっすぐなものと考えるのか、円環的なものと考えるのか。仮にまっすぐな時間軸を設定するならば、私たちは「未来」を見ているのか「過去」を見ているのか。

 

日本文化においては「過去」あるいは「伝統」を見つめるのが好きな傾向があると思うのです。過去を向いているから過去は「前にあるもの」であり、過去を向いているから未来は「後ろにあるもの」だと認識されるのではないか。

 

本当は、これにくわえて「かごめかごめ」の歌詞についても議論したかったのです。「夜明けの晩に」や「後ろの正面」という表現は、時や空間をひねってとらえないと出てこないものですから。このあたりは、次回の撮影で触れたいと考えています。

 

今回の日本語についての仮説もNLP(神経言語プログラミング)をベースに思いついたものです。私は現在はNLPのトレーニングは実施していませんが、英語教育の仕事も心理系の仕事(コーチング、メンタルトレーニング)においても、NLPが非常に役に立っています。