「保守思想大全」適菜収著
p.016「第一章:保守主義」より引用
『保守主義は思想体系、イデオロギーではありません。』
英語で"...ism"という語尾を伴う言葉は「...主義」と訳すケースが多いです。たとえば、"capitalism”は「資本主義」、"socialism"は「社会主義」、"communism"は「共産主義」といった具合であり、"...ism"(イズム)にはどうしても「イデオロギー」や「思想体系」のような響きがあります。
「保守主義」という言葉の元になった英語は"conservatism"です。さらに言葉の歴史を遡ると、フランスの革命思想を批判する文脈で使われた"conservatisme"というフランス語に遡ることが出来るのですが、この場では日本語と英語の関連性を考えるに留めます。
私は「主義」と言う言葉に伴うイデオロギー的な臭いがあまり好きでは無いので「保守主義」ではなく「保守思想」と言う言葉を使うことが多いです。しかい、元になった英語が"conservatism"である以上、「保守主義」と訳すこともやむを得ない気がします。よって、本稿では「保守思想」と「保守主義」は共に"conservatism"の日本語訳として「概ね同じ意味である」という前提で書かせていただきます。
学問や思想の世界で使われる用語の多くは明治以降に西洋から日本へ流入しました。例えば"society"という概念が日本へ入ってきた際に、福沢諭吉は「交際」という訳語を、そして西周は「社会」という訳語を使い、結果的に「社会」という言葉遣いが定着したのはご存じの通りです。そして、「交際」も「社会」も共に明治以前から日本に存在した言葉だったのですが、西洋における「近代的自我(神や身分から自立した自我)」を前提とした"society"という考え方が「社会」という言葉に「託された」のですね。(このあたりの翻訳語の議論に興味がある方は、ぜひ「翻訳語成立事情(岩波新書)」を一読ください。
このように、西洋語の"society"の意味をあてがわれた「社会」と言う言葉は、明治以前から日本に存在した経緯もあって、日常の言論空間においてはたとえば「社会に出る」等といった日本独特の意味で使われることが多いのですが、「私は来年社会人になります」を無理やり"I will be a social person nex year."や"I will be a society person"等と英語にしても、元の日本語のニュアンスは伝わりません。私は「社交ダンス(social dance)」が趣味の一つなのですが、日本の社交ダンス界においては西洋流の「社交(society)」は基本的には存在しません。西洋では「競技ダンス」と「社交ダンス」は別物であり、豪華客船のダンスフロアで踊られるべきは「社交ダンス」なのですが、ほとんどの日本人が「社交ダンス」として学ぶ踊りは実は試合用の「競技ダンス」なのです。テレビでも「芸能人社交ダンス大会」等が放映されることがありますが、その内容は実は「競技ダンス」です。(私はウリナリの「第一回社交ダンス大会」に出場していた経緯があるので、現場の事情には詳しいつもりです。)その結果、本来社交の場であるべき豪華客船のダンスフロア―で、日本人客は大きく&激しく「競技ダンス」を踊る傾向があり、マナー違反だと解釈されることもあるのが悲しい現実なのです。(このあたりの事情は社交ダンスの世界でも理解している方は残念ながら少数派です。)
閑話休題。「保守」という概念は明治以前も「制度、慣習などを守る」という意味合いで中国古典由来の漢語として使われていました。ですが、上記のような「近代を批判する」や「近代理念の暴走を食い止める」という意味は含まない概念だったのです。そこに西洋語の"conservatism"という概念が輸入され「保守主義」や「保守思想」等という言葉が使われるようになったものの、長らく使われていた「保守」という言葉には(当然のことながら)「西洋近代の批判」という意味合いがあるわけもなく、私たち日本人は「西洋語流入以前の<社会>や<保守>」と「西洋語の翻訳語としての<社会>や<保守>」との区別がつかず、右往左往しているのが現状なのです。
現在、「保守」を自認する政治家や思想家は少なくないのですが、実態は「単なる右翼」「情弱なネトウヨ」「排斥的なヘイトスピーカー」等に過ぎないのが悲しい実態です。
学問的・思想的な意味での「保守主義」はイデオロギーではありません。ましてや軍国主義や国家主義でもないのです。では本来の保守とは何か?適菜さんの答えは
p.017
『一文字で言えば「愛」です。』
なのです。イギリスの政治哲学者オークショットにとっての「保守」はイデオロギーや原理ではなく、姿勢や態度のことなのです。
“To be conservative, then, is to prefer the familiar to the unknown, to prefer the tried to the untried, fact to mystery, the actual to the possible, the limited to the unbounded, the near to the distant, the sufficient to the superabundant, the convenient to the perfect, present laughter to utopian bliss.”
― Rationalism in Politics and other essays
拙訳「保守とは見知らぬものよりも慣れ親しんだものを好むこと、試みられたことがないものよりも試みられたことがあるものを、神秘よりも事実を、可能性よりも実際を、無制限よりも制限があるものを、遠いものよりも近くのものを、過剰よりもほどよく足りるだけのものを、完璧よりも便利なものを、理想郷における至福よりも現在の笑いを、好むことである。」
ということで、私は引き続き「現在の笑い」を磨くことにします。先ほど頂戴した合格報告の中に「飯島先生の授業中の小ネタはツボでした」と書かれていたことが私を「理想郷における至福」ではなく「現在の笑い」へと導いてくれました。
感謝。弥栄。合掌。