「専門」について

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「学者 この喜劇的なるもの」西部邁

「専門」という言葉について。

ある一つの「専門分野」について研究を重ね、その分野についての「専門家」になるという形が、学問の世界であれビジネス領域であれ重要であると一般的には考えられている。実際に私自身も「英語教育の専門家」あるいは「GMATの専門家」であるという評価を一部の方々から頂戴している。

ただし、「専門家」の定義は難しい。「法政大学社会学部卒」で教員免許も持たず、はたまた大学院に行ったこともない私が「英語の専門家」を名乗ってよいのかの判断は難しい。複数の大学で正規の(単位が発生する)英語クラスを担当していた経験もあるので、一応「専門家」を名乗ってよいのだろうと線引きはしているのだが、「専門家」と「素人」をどのような尺度で線引きするのかは難しいテーマである。

また、「専門家」であれば正しいことを言うであろうと前提してしまうことは危険である。その専門分野についての細かい研究をすることによって自己満悦に陥り人格的に歪んでしまったり、専門分野のことばかり考えることによって世の中全体の本質が見えなくなってしまうことがあるのだ。また、いったん専門家との評価をもらったために努力を止めてしまい、実はその専門分野の最新情報を全く持ち合わせていない似非専門家も少なくないのが現状である。

学者 この喜劇的なるもの

『(略)私は自分の「専門」にも「業績」にもいささかも関心をもてないどころか、それが拘束衣となって自分を締め付けるのを感じていた。のみならず、とくに数理風の近代経済学がその根本において大きな過誤を犯していることを私は理解しはじめていた。』(西部邁「学者 この喜劇的なるもの」p.22より引用)

西部邁は近代経済学の専門家として横浜国大と東大にて教鞭をとっていたのだが、色々な書籍で述べている通り「専門を捨てること」を自らの道として選択した。

『専門とか業績とかというものがいかに空しいものでありうるかを私はいいたいのである。(略)学問の実情を知らぬ世人は、専門と聞いただけでたいしたもんだと想像するのかもしれないが、有体はこんなところである。それなのに、大学教師たちは互いに専門を尋ね合い、経緯を表し合い、社交辞令に明け暮れている。(略)私が平均からはっきりと逸脱したのは、東大にくるなり、専門をあっさり捨てたことである。』

実際に、西部邁は「東大時代」以降は「構造主義、記号論、言語哲学」という一つの柱と「保守思想」というもう一つの柱を軸にした学問横断的な仕事をするようになっていった。この本の主たるトピックである「中沢新一氏を東大の教授として迎え入れようとした」という出来事も、東大教養部に専門主義を打破する西部による活動の一環であった。

『すべてを階級間の商品関係に還元するマル経も酷いもんだが、近経とて個人間の交換関係に還元するのに現を抜かしているわけで、「過剰な単純化」という点では大同小異だとこの壮年(引用者注:西部邁本人のことを意味する)は考えた。』(西部邁「ファシスタ足らんとした者」p.105より引用)

一つの専門分野は曖昧模糊とした世の中の一側面だけを切り取り、その他の側面を軽視ないしは無視することによって成り立っているところがある。近代経済学はこの引用の通り「個人間の交換関係」に注目し、「人間は合理的な経済判断をする」及び「マーケットメカニズムは適正な結論を出す」という思想を前提として数理的に組み立てられている。だが、ひょっとしてこの前提自体が疑わしいものなのではないかと問うことの重要さを西部は説いているのである。

専門家がまともな存在であり続けるためには、自身の専門分野とは異なる分野の視線を常に意識し、自分の専門分野が学問という名のフィクションにすぎないことを認め、世の中全体を理解しようとする「全体性」の意識を常にもつことである。たとえば英語の専門家であれば、英語の幼児教育の必要性を疑ってかかったり、大学教育において英語教育の占める割合が大きくなりすぎている現状に対する批判的な視座も取り入れるべきである。西洋医師であれば、西洋医療の限界をきちんとわきまえた上で、自分の能力や西洋医療の限界を超える容態については代替医療に任せる等の柔軟な姿勢が必要である。

 

合掌。生かしていただいてありがとうございます。