昨日の書き込みにコメントをしていただいた皆様、ありがとうございました。


> hajime.y さん

『人間の想像の力はとても大きいと思うし、理解も可能だと思います。一般的には後者じゃないでしょうか。ただ、どちらにしろ完全には理解することはできないだろうという意味で、経験する事の方が理解度が上がるから、僕なら前者を取ると思います。』

・・・つまり、どちらかと言うと前者「「人は経験したことしか理解できない」の立場をおとりになるわけですね?


> Rec さん

『私も基本的に人間は完全に理解し得ないと言う考えを持っておりますが、人間の経験には限りがあり、経験より想像力の方がはるかに大きいと思うので、hajime.yさんとは異なり後者の考え方に賛成です。難しい問いですが…』

・・・なるほど、Recさんはどちらかというと後者の立場「人は自分が経験したことがないことでも、知性と想像力で理解が可能である」をおとりになるわけですね?


> 風太郎(私です)

『実は私は「人は経験したことしか分かり合えない」「人と人は究極的には分かり合えない」という前提にたって生きています。でも、これは「どちらの考え方が正しいか否か」という問題ではなく、どちらの考えをとるかは趣味の問題だと思っています。(^^: 私は前者の考え方をとったほうが人生が楽だし楽しいんです。「人と人は分かり合えない」という前提に立って生きていても、たまに奇跡的な出会いがあり、ある程度分かり合えることがるんですよねー 逆に「人と人は分かり合える」という仮定に基づいて生きると、パートナー(配偶者、彼氏・彼女、等)に期待を持ちすぎて、「何で分かってくれないの!!」と喧嘩になりがちです。「どうせ分かり合えないんだから」という価値観に立った方が人生生きやすい、というのが現段階での私の結論です。』

・・・ここで言いたかったことは、「人と人は分かり合えるはず!」という価値観を持って生きていくと、周囲の人間と分かり合えなかった時に辛い思いをする可能性がありますよ! ということなんです。「性格の不一致」という理由で離婚する人が多いそうですが、性格なんてそんな簡単に一致するわけないんですよ! (^^;  そういう「人と人は簡単に分かり合える、性格が一致する」という甘い幻想を持つことが原因で、人間関係を築くのに苦労する人がいるような気がしてならないんです。


> hajime,y さん

『なるほど。そういう考え方も出来ますね。風太郎さん節は観点が面白いですよw

・・・いつも読んで下さり、ありがとうございます!

> hajime,y さん

ただ、究極的に分かり合えるように接したいので、伝わりきれなくてもしょうがないや(ネガティブ)、ではなく何で伝える事が出来ないのかと自問自答して生きたいと思います。それが出来るようになったらようやく楽しいになるのかもしれませんね。前向きに考えています』

・・・そう、私も結局同じようなことが言いたいのです。「基本的には分かり合えない」という前提に立ちつつも、「究極的には分かり合えるように」努力していく、というのが人間関係を持つ上での私の哲学です。


> kazuki さん

『理解というものを言葉の上で理解ととるなら人は理解しあうことはできない、しかし赤子が言葉を理解しないにも関わらず親の心情を読み取るのと同じように言葉の上での理解を超えたところにある理解というものは存在するとおもいます。だからつまるところ「人と人は究極的には分かり合えない」というのはそりゃその範囲で定義したんだからそうだよねってことだとおもいます。

・・・ふふふ、なるほど! 「理解する」という言葉の定義をしっかりせよ! というご指摘をいただいたような気がします。もちろん、人間の本質的な部分、言語を超えた動物としての本性の部分は、かなりの程度理解が可能だと思います。ただ、「海外経験」「留年して、クラブの後輩立ちと同じ学年になり、同級生に野口さんと呼ばれた経験!」「一人っ子の経験」「片親がいない経験」(全部私のことです)が、誰にでも簡単に理解してもらえるとは思えない・・・という実感はあります。Kazukiさん、どう思われますか? 要は、人間の理解というものにはいくつかのレベルがあり、分かり合える部分と分かり合いにくい部分がある、という結論で二人の間では一致できそうな気がするのですが?


> kazuki さん

 あと経験と理解のはなしですが、結局経験なんていうものもそのひとの理解の仕方の総和なわけで、「アメリカに行った」という言葉の上での経験よりも、アメリカに行けば得られるであろう理解をそのひとがしたかどうかが重要なのだと思います。つまり「理解した事が経験になる」です、故に何処にいたか何をしたかの違いでしかない「海外経験」は本質を掴むうえであまり重要では無いのだと最近思います。』

・・・難しい内容ですね。。。 うーむ。。。
おっしゃられていることはある程度理解できます。特に「理解したことが経験になる」という部分です。いくらアメリカに行っても、アメリカを理解しなかった人にとっては、その滞在は「経験」と呼べるような質のものになっていない、という意味ですよね? 全く同感です! そして、「海外経験は本質を掴むうえではあまり重要ではない」というのも賛成です。海外経験が本質をつかむ「きっかけ」になることはあると思います。(私の場合はそうであったと信じたい)しかし、海外経験が、本質をつかむ上では欠かすことのできないものでる、と考えるのは、海外生活経験者の傲慢であると私は思います。


ブログを始めて以来、初めてかなり本音を語りました。皆さんのきっかけのおかげです。




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