フレンズ I 〈ファースト・シーズン〉 DVD セット1 [DVD]



アメリカのテレビドラマ"Friends"の話題の続きです。


主演女優のJennifer Aniston(ドラマ上ではRachel、レイチェル)は、"Friends"でのRachel役が自身の生活の中であまりに大きな存在になってしまい、ドラマ終了後「私は誰?」という"identity crisis"を味わったとテレビのインタビューで語っています。


↓Oprahでのインタビュー動画↓


Friends - Cast Of Friends On Oprah May 2004 part 2 of 3


以下、インタビューの中のJennifer のコメントの抜粋です。




I felt pretty lost. I really did.


「道に迷った気分になった」「生きていく方向性が分からなくなった」くらいに訳せるでしょうか。



I had this very sad thing about, "Where is Rachel?Where did she go? Is she in a box? Where is she?"


「レイチェルはどこ? どこに行ってしまったの?箱の中?」 という、悲しい気持ちになった。


私は「日々の生活にも演劇性が潜んでいるし、演劇の中にも日常性が宿っている」と考えます。一部の人が思っているよりも、私達の普段の生活は「演劇性」「ドラマ性」に満ちています。「嘘」と「本当」の境界線上に漂っている微妙な気持ちを「好き」とか「愛している」等と言葉にしてみるけれど、それが
本当にどのような気持ちなのかという確信がないままに、私達は言葉を交わしている。真実は「本当」と「嘘」の境界線上にあり!


そして、逆に、演劇という「フィクション」の中のやりとりに、真実性が生まれたりする。ドラマで競演した男女が私生活でも付き合うようになることが多いのは、決して「手っ取り早いところで相手を見つけた(笑)」というだけの話ではなく、「嘘」と「本当」の境界線上で、「本当」が優位に立った、というだけのことではないだろうか。



Who am I if I'm not Rachel? I mean I really was having an identity crisis almost.


もし私がレイチェルでないのなら、私はいったい誰なの?「自分が誰なのか分からない」といってもよいほどの状態に陥ってしまった。


identity crisis = アイデンティティー・クライシス =同一性危機 です。 自分が何者か分からなくなる状態です。私の場合は、御多分に洩れず、アメリカ留学から帰国後に陥りました。「なんで日本人は皆髪が黒いんだろう」とか「敬語って気持ち悪い」って悩んでました。(苦笑)


私達は、「表の役割」と「裏の本当の自分」とが、渾然一体となった形で日々生きています。同様に、「本当」と「嘘」も渾然一体とした概念です。何が嘘で、何が本当なのかは、簡単には区別できないのです。特に、異文化にまたがって生きる場合、文化によって「本当」が異なるため、さらに難しいことになります。


難しいけど、頑張らなくちゃね。 境界線上で生きるのは辛いけどね。