風太郎 in Hawaii です。


私は南の島が好きなので、どうしても「あの戦争」と関わりがある場所(沖縄、ハワイ、フィリピン、等)に行くことが多くなります。そして、必然的に、滞在中は「あの戦争」のことを色々と考えてしまいます。以前グアムを訪れた際には、激戦があった地域で、自分自身も兵士として戦った過去があるような錯覚に陥るほど、深く感情移入してしまいました。また、義理の祖父がフィリピンで戦士したという事実を知らされた日の夜、私自身がフィリピンの戦地でさまよう夢をみました。私は戦争を実際に体験した世代ではないのですが、訳があって、日々「あの戦争」のことを考え続けています。


今、ホテルで「あの戦争」に関する対談本を読んでいます。


ゼロ戦と日本刀 美しさに潜む「失敗の本質」


GHQ実施した「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)によって、歪められた歴史観が日本に定着してしまった。「東京裁判史観」「自虐史観」が、残念ながら根付いてしまった。


日本の戦い方に「失敗」があった、もっと上手く戦っていれば勝機はあった。真珠湾攻撃で、石油の備蓄タンクも破壊しておけば勝機はあった。また、ミッドウェイ海戦においても、戦略を工夫すれば十分勝機があった。実は「あの戦争」は、一部流布されている程、必ずしも「無謀な戦争」ではなかった。少なくとも、戦略的に「引き分け」に持ち込むことは可能だった。


また、真珠湾攻撃は「だまし討ちだった」という歴史理解が、アメリカによるプロパガンダに過ぎないことも語られています。確かに、手続きの不備で、真珠湾攻撃の前に「宣戦布告」ができなかったのは歴史的事実だが、歴史をきちんと振り返ると、戦争には必ずしも「宣戦布告」は必須のものではなかった。さらに、アメリカは「あの戦争」以降、宣戦布告をせずに戦争をし続けてきた事実もある。(ベトナム戦争、湾岸戦争、等)


アメリカは、日本人に「贖罪意識」を植え付けることに成功し、現在に至るまで、首相が蘘國神社に参拝することすら許されないという信じがたい「空気」が存在するほど、日本が過度に「悪者」にされている面がある。


日本人は、世界の多くの地域で、実は感謝されているのです。


日本が戦ってくれて感謝しています アジアが賞賛する日本とあの戦争


シナ(中国)、韓国、アメリカ等の一部の国々が語る「歴史観」を、丁寧な言葉遣いで、かつ実証データを使って少しずつ崩していく責務を、日本の知識人たちが負っている。シナ(中国)の政府関係者が「アジア全体が日本を・・」という表現を使うが、実はアジアの中でも、シナ(中国)と韓国は状況が特殊であり、「シナ(中国)と韓国=アジア全体」という過度の一般化が、特に左派のメディアの報道等で一人歩きをしている。


私は「両親」「学校教育」「左派のメディア」等の影響で、二十歳になるころまでは「日本がアジア全体で嫌われている、恨まれている」と思い込んでいました。海外生活経験(高校時代にアメリカへ留学しました)があったものの、「東京裁判史観」を作り上げたアメリカという国では、その史観が覆されることは当然なかった。歴史のクラスでも、原爆投下を肯定する論理を押し付けられました。


私にとって大きかったのは、大学時代にオーストラリアへ留学したことです。オーストラリアで出会った世界中からの留学生たちには親日家が多かった。さらに言うと、「あの戦争」の日本の立場を肯定的にとらえている人も多かった。(例:インドネシアの人たち。日本は、インドネシアのオランダからの独立に大きく寄与しました。)戦後日本の「閉ざされた言語空間」の呪縛から解放されただけでも、オーストラリアへ留学した価値がありました。


私は「あの戦争」には、「歴史の必然」という要素(=戦争肯定論)と、「日本がアジアを侵略した」という要素(=侵略戦争論、日本が悪いことをした論)の両面があったことは、当然ながら認めます。でも、物事はそんなに簡単に白黒をつけることができるわけではありません。真実は、おそらくこれらの二つの要素の「中間」に存在するのでしょう。真実とは「二律背反(にりつはいはん)の濃い塊」の中を、単純な二分法を排除した分析を丹念に続けないと、たどり着けないものなのです。


合掌。生かしていただきありがとうございます。