私は、ロサンゼルスオリンピックの年にアメリカの高校へ10か月間ほど留学しました。1ドルが200円台中盤だった時代、つまり「プラザ合意」の前です。年々、自分の人生での出来事が歴史の教科書ネタになっていると感じるのは、歳をとったからなのでしょうね。(苦笑)
同じ高校にもう一人日本人留学生がいたのですが、なぜか嫌われてしまい口をきいてくれず(苦笑)、国際電話は料金がべらぼうに高く、当時はインターネットもなく、日本語を話す機会は全くありませんでした。そのような環境のおかげか、渡米して半年くらい経ったら日記が英語になりだし、英語で夢を見るようにもなりました。振り返ってみると、メディアが発達したことが、かえって英語学習を困難にしているような気もするのです。留学中に一切日本語に触れないことが難しい時代ですから。
そして、私の英語力がそれなりに上達した要因の一つは、ある程度しっかり文法を勉強していたことなのだと思います。文法力のベースがあったから、色々と英語に触れていく中で、様々な文のパターンを「文法」という視点で整理することができた。耳に入ってくる英語表現を、文法的に分析しながら落とし込んでいったのです。
帰国直前に仲良くなったTedという友達に、車の中で"Are you enjoying yourself?"(楽しんでいるかい?)と尋ねられ、私は"Yes"と答える前に「ああ、アメリカ人は<楽しむ>という行為を他動詞で表現するんだ!」と無言で感動してしまいました。(笑)感動するポイントが変ですね。当時から、私には文法オタクの素質があったようです。
英語は他動詞表現が多いと言われています。
I am enjoying myself.(私は楽しんでいる)
は、直訳すると「私は私自身を楽しませている」となりますし、
John killed himself. (ジョンは自殺した)
は、直訳すると「ジョンは自分自身を殺した」となります。英語は、このように「他動詞的な表現」を好む傾向があります。
考えてみると、「私は生まれた」という日本語は「自動詞」ですね。英語では"I was born..."と、他動詞の受動態で表現します。私は、この"I was born.."という受身の文を能動態に直すと、どのような主語が隠れているのか(専門的に言うと、ネクサス上の主語は何なのか)に興味を持っています。神?運命?母?
私は、日本人が一定の年齢になってから英語を学ぶ際には、文法を大切にするべきだと思います。(幼児教育の議論は省きます。)日本の英語教育の一番の問題点は、文法ばかりを教えることにあるのではなく、文法の教え方が下手な点だと私は考えます。TOEFLから文法セクションが無くなったのは、とても残念なことでした。(私の意見は、おそらく少数派だと思いますが。)
本来、文法は面白い。歴史、文化、宗教等の学びの場でもある。文法は物語であり、生き物である。色々な文法解釈があってよい。5文型理論好き(私は好きです)がいても良いし、5文型理論を否定する人がいてもよい。文法は、無機質なルールを単に暗記する科目ではない。
今年は、私は英文法と向き合います。英文法の講座も開催する予定ですし、できれば文法の本も書きたいと思っています。英文法が学ぶ価値があるものであること、面白いものであること、決して暗記するものではないこと、等を伝えていきます。