天(あま)が下の萬(よろず)のことには時あり。生まるるに時あり、死ぬるに時あり、植(うう)るに時あり、植たるものを抜くに時あり、… 黙するに時あり、語るに時あり、… 泣くに時あり、笑ふに時あり、… 保つに時あり、棄つるに時あり、… 戦ふに時あり、和らぐに時あり。(『伝道の書(コヘレトの言葉)』3:1−8)


高尾利数先生・最終講義資料より孫引き
http://homepage3.nifty.com/kairos_at_TAKAO/Kairos01in.html


高尾利数先生(法政大学・名誉教授)の最終講義は2001年のことでした。もう15年近く時が流れたのですね。恩師の退官講議にどうしても参加したかった私は、何年も前から情報収集をして、当日は仕事を休んで多摩キャンパスを訪れました。私は決して優秀な弟子ではありませんでしたが、高尾先生は私に気づいて会釈をして下さいました。


人生に迷い乱読を重ねた私は、大学3年の頃にソシュール・丸山圭三郎の思想(構造主義)に出会いました。丁度その頃、高尾先生からいただいたお葉書の中に、先生が丸山圭三郎の思想を取り入れた聖書解釈のお仕事を始めたという内容を発見して、シンクロニシティーに興奮を覚えました。私は今でも構造主義をベースにして日々の仕事をこなしています。


私は結局学問の道には進みませんでしたが、高尾先生のおかげで良質な学者精神に触れることができました。その後私は保守思想に出会い、高尾先生の思想とはかけ離れた場所に来てしまいましたが、私の思想形成にとって最も大きな存在だったのが高尾先生でした。高尾先生に出会えただけでも、法政大学へ進学した意味がありました。


特に理由はないのですが、ふと懐かしくなって昔話をさせていただきした。萬(よろず)のことに時あり。懐かしむに時あり。

合掌。