私は学生時代に「朝まで生テレビ(通称:朝ナマ)」というテレビの討論番組に強く影響を受けました。オウム真理教問題等のタブー視されていた領域に切り込んでいったという点において高く評価されるべき番組だと思います。そして、初期の朝ナマにおいて保守思想の視座から正論を繰り出す孤独な戦いを挑んでいたのが故・西部邁氏でした。私が育った家庭では「ただの右翼だ」「とんてもない奴だ」という最低の評価を下されていた西部氏ですが、私にとっては徐々に気になる存在になっていきました。つまり、西部氏が大切にしていた「説得」に、少なくとも一人の孤独な青年の考え方を変化させたいう意味では成功されたのです。そして、私の学問的な意味での師匠にあたる畏友に「絶対に西部邁を読むべきだと思う。二人の考え方は似ているから。」と強く薦められたことをきっかけに、私は西部先生のファンになっていきました。
『私の思う保守は現状維持でもないし現状弁護でもない。融通のきかない頑固者、それが保守主義者なのではない。保守は、人間も制度も矛盾、葛藤、逆説、そして二律背反の濃い塊となっているととらえ、その危機の中で平衡を保つための知恵が伝統の中枢に蓄えられているとみなし、その伝統を保守せよと主張するのである。』(「学者 この喜劇的なるもの」西部邁著 草思社 p.12より引用)
「西部氏」と記すべきなのか、「西部先生」と敬称を用いるべきなのか、はたまた「西部邁」と呼び捨てにすべきなのか等と悩んでしまうのはおそらく私の立ち位置が曖昧だからです。私のブログの文章を「便所の落書きみたいなもの」だと自己卑下するのか、SNSの世界でクリック数を稼ぐための手段だととらえるのか、大学の卒業論文「ことばと権力」の続きだと考えるのか、はたまた自称思想家がメッセージを発信する場だと認識するのか等の「スタンス」を決めれば表現も自ずから決まっていくのでしょう。私の立ち位置については今後しっかりと悩んでいきますが、今回は暫定的に「西部先生」と呼ばせていただくことにします。私の人生に決定的な影響を与えてくださった方だからです。(お会いしたことはありませんが。)
西部先生は思想的立場の違いを超えて中沢新一氏を東大教養部の助教授として迎え入れようと動いたのですが、理不尽な形でその提案が却下されてしまいました。そして、その経緯を世の中に伝えるために、そして大学という空間の惨状を世に知らしめるためにこの本(学者 この悲劇的なるもの)を書かれたのです。
『君はポスト・モダンで、俺は保守だ。レッテルなんかどうでもいいが、わかりやすくいえば、そういうことだ。これだけ距離があると、俺もやりやすい。自分の仲間を増やすのに努力するのは俺の好みじゃないんだ。』(「学者 この喜劇的なるもの」西部邁著 草思社 p.12より引用)
この言葉の通り、西部先生は意見や思想的立場の違いを超えて幅広く色々な方々と議論を重ねていかれました。晩年にお笑い芸人の村本氏(ウーマンラッシュアワー)と対話を継続されたことも、私には虚しい努力に思えてしまったのですが、若者と対話することの大切さを繰り返し説いていた西部先生らしい「言行一致」だったのではないでしょうか。
保守思想は決して現状維持でも現状弁護でもなく、頑固に過去や歴史を賛美する思想でもないのです。保守派こそが冒険的で、理想にあふれ、現状変革的であるとを西部先生は体現されていたのではないでしょうか。
合掌。生かしていただいてありがとうございます。