死んだ男の残したものは

 

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死んだ彼らの残したものは

生きてるわたし。

生きてるあなた。

 

谷川俊太郎「死んだ男の残したものは」より

 

前回話題にしたH先輩をSNS上で探し出し、H先輩が使っていた武満徹の「うた」の楽譜が私の手元にあること、私の記憶では「先輩から「貰った」ものなのだがひょっとしたら「借りたまま」になってしまっている可能性があることを伝えました。お互いに真相は覚えていなかったのですが、「もう使わないからいいかなー。とっといて!」とのお言葉を頂戴したので、今後も大切に使わせていただくことになりました。H先輩とはそれほどたくさんの交流があったわけではではないのですが、孤独な青春を過ごしていた私にとって「本当に優しいお姉さん」だったのです。そのような感謝の気持ちを伝えることが出来たので、思い切ってコンタクトして良かったです。私は近年は「感謝したい人には感謝の気持ちをきちんと伝える」ことを最も大切な行動原理にしています。

私は大学入学直後に法政大学アカデミー合唱団へ入りました。そして5月か6月頃だったと記憶している六大学混声合唱連盟の合同コンサートで武満徹の「うた」という合唱曲にめぐり逢い、感動で体が震えたことを今でもよく覚えています。実は私の記憶は錯綜してしまっており、それが先輩たちの演奏だったのか、あるいは東大の柏陽会の演奏だったのかが定かではありません。ただ、その後入手した先輩たちの演奏による「うた」のカセットテープを車の中でずっとかけるようになり、友達から迷惑がられていたことをよく覚えています。同世代がドリカムやプリプリに熱狂している間、私は先輩たちの合唱曲で孤独をやり過ごしていたのです。

「うた」の中の一曲「死んだ男の残したものは」は「作詞:谷川俊太郎」「作曲:武満徹」です。私にとって谷川俊太郎先生は私が小学生の頃からの愛読書「ピーナッツ(スヌーピーの漫画シリーズ)」の翻訳家としての印象が強かったのですが、「うた」との出逢いで本業の「詩人」としての凄さにも触れることができました。

一番の歌詞は「死んだ男が残したものは一人の妻と一人の子供。他には何も残さなかった。」という内容であり、「人の死」や「戦争」が無意味で虚しい「だけ」のものだと伝えている反戦歌のように思えてしまうかもしれません。実際にこの歌は元来ベトナム戦争反対運動のために作られた経緯があるのでなおさらです。ただし、詞をきちんと読み進めると「死んだ彼らの残したものは生きてるわたし。生きてるあなた。他には何も残さなかった。」や「死んだ歴史の残したものは輝く今日とまた来る明日。他には何も残さなかった。」等とも書かれています。私はこの「他には何も残さなかった」を裏っ返した解釈である「死んだ彼らにも残したものもある!」という考え方が好きなのです。過ぎ去った戦争を否定するのは簡単だが、戦争で散っていた人たちが後世に残そうとしたものが何なのかを真剣に考えることや、戦争の「肯定的意図」を理解しようとすることも大切だと私は考えますし、そのように考えることが戦争を礼賛していることにはならないはずなのです。靖國神社に行くたびに私の中にはこのような想いが沸き上がってきます。

 

合掌。生かしていただいてありがとうございます。