日高見国と大和国

 

 

今回は「日本国史・上」の「まえがき(p.6~)」についてです。

「国(くに)」あるいは「国家(こっか)」という言葉をしっかり定義しておかないと、歴史学であれ社会科学であれ生産的な議論は出来ません。狭義の「国」は「近代主義」によって定義される「近代国家」であると言えるでしょう。そのような意味での「国」は確かに日本の縄文時代には(当たり前のことですが)存在しませんでした。

著者の田中氏は、日本には古墳時代の「大和国(やまとのくに)」の前に、縄文時代にすでに「日高見国(ひたかみのくに)」というという国家が存在したと主張されています。日高見国は神道的な祭祀共同体という意味での「国」であり、その存在は発見される土偶、土器に「形象の様式の一貫性、統一性」がみられることから推論できるというのです。さらに、日高見国は神話上の「高天原(たかまがはら)」に相当する存在であったと主張されています。

従来の(少なくとも戦後の)歴史学は文献(史料)を絶対的なエヴィデンス(根拠)として扱うことを前提としてきたと私は理解しています。ところが、縄文時代には基本的には文字がなかった(実はこの点も議論の余地があるのですが今日は触れません)ので、縄文時代を解析する上では「文献主義」は役に立たないわけですね。そこで、遺物や遺跡などの「物」をエヴィデンスとして使う考古学の出番がくるのですが、残念ながらす遺物や遺跡がすべてきちんと発掘できるわけではありません。このあたりのことが「マスターキートン」という漫画のモチーフになっているわけですね。主人公のキートン氏が斬新な仮説を提示するのですが、エヴィデンスが無いという理由で学会にまともに相手にされないという物語が語られています。

つまり、歴史を解明する際には「文献主義」に基づく歴史学と「遺物と遺跡をエヴィエンス」として考える考古学だけに頼ってはいられないのです。そこで、田中氏は神話学や形象学(フォルモロジー)などの視点も取り入れて、総合的な角度から日本の歴史を紐解こうとされているのです。

このような、健全な「学際性(interdisciplinary あるいはtransdisciplinary)」を頼りにしなければ、古代の歴史は紐解けないはずです。私は学問の追及は貴重な作業だと思いますが、自分の専門分野の限定的な視点で物事を決めつける「専門主義」には批判的です。