さだまさし
「先生、旅に出ても、すぐ家へ帰ってしまうのは、自分の執着心のせいでしょうか?」
森敦
「人は帰るために旅をする。漂う為に非ず」
>>>
前回の「タモリ論 その4」を読んでくれた親友から、以下のメッセージをいただきました。
「その実存のゼロを知ることができるのは、逆にX軸とY軸があるからではないか?」
その通りだと思います。タモリさんの哲学論は、動画の中で「キルケゴール」という哲学者の名前が出ていることからもわかる通り、「実存主義」あるいは「現象学」と呼ばれている哲学分野の知見を基にしているのだと思われます。フッサール、ハイデガー、ニーチェあたりの実存主義哲学をタモリさんは学ばれていたのでしょうし、仏教の「禅」についても言及がありましたね。
私の乏しい哲学の知識で語れば、タモリさんの「実存のゼロ地点」は、哲学的には「現象学的解体」を目指しているとも言えるでしょうし、心理学的に言うと「ゲシュタルト崩壊」を意識しているのでしょう。まあ、一般人としては専門用語の選択はどうでもよく、要するに「常識を疑う」「世の中の風潮を批判的にとらえる「自分の頭で考える」ことが大切なのだと、タモリさんは若者に訴えているのだと思うのです。
さて、私の友人の指摘について考えてみます。人間が「疑うこと」や「実存のゼロ地点を目指すこと」ができるのは、まさに「x軸とy軸があるから」に違いありません。「すべてを疑う」ためには「疑っている主体」が必要であり、「すべてを疑った」後に戻ってくる「帰るべき場所」が必要なのです。「実存のゼロ地点」を経験することは大切なことだけれども、いつまでもそこに留まっていては「お腹が一杯」にはならないし「女の子を口説く」ことも出来ません。(笑)
仏教では、このことを「色即是空、空即是色」と表現していると私は勝手に考えています。「色(リアルな世界」をいったん解体して「空(実存のゼロ地点)」を体験する。しかし、「空」の世界を経験した後に、「色」の世界に「戻ってくる」必要があるわけです。十牛図においても、最後のステップとして「悟った後に世俗に戻ること」の大切さが示されています。
色即是空
空即是色
合掌